1990年代のニューヨーク(NY)は、アメリカでも有数の犯罪多発都市でした。そうした中、1994年にNY市長となったルドルフ・ジュリアーニ市長は、『割れ窓理論』による治安回復に取り組みました。
『割れ窓理論』とは、次のような犯罪学上の理論です。
① ある建物の1枚の割れた窓ガラスをそのまま放置しておく。
② すると、それが住人の治安意識の低さと見なされ、いずれ他の窓ガラスも全て割られてしまう。
③ その建物は完全に荒廃し、周辺にゴミが捨てられるなどして地域の環境そのものが悪化する。
④ 地域環境が悪化すると、さらに公共物への落書きやいたずら、破壊など、軽微な犯罪が多発するようになる。
⑤ そうなるといずれ最終的に、強盗や傷害、殺人といった重大な犯罪発生へとつながっていく。
以上が『割れ窓理論』です。この理論に基づいてジュリアーニ市長は、強盗や殺人といった重大犯罪をなくすには、まず最初の割れ窓をそのままにしないことが大事だと考えました。つまり、万引きや地下鉄の落書き、違法駐車、未成年の喫煙といった軽犯罪や小さなルール違反を、徹底的に取り締まったのです。
その結果5年後には、重大犯罪の発生件数が殺人で約7割、強盗も5割以上減少するという大きな成果を上げました。そして、危険な街という印象のあったNYに、多くの観光客が戻ってくるようになったのです。
※続きは、下の『おりたたみ記事』をクリックしてください。
さて、ほぼ毎時間のようにどこかしらの授業(教室)を見て回っている私は、最近「それっていいのかな?」と、少し気になることがあります。けっして授業が乱れているとか、荒れているとかいうことではありません。文字どおり「少し気になる」程度です。硬い言い方をすれば「体感秩序が低下している」ということかもしれません。「体感秩序の低下」つまり、感覚的に感じる授業のマナーや落ち着いた雰囲気が、低下しているということです。一例を挙げます。
● 机に突っ伏したり、机に片肘をついて横向きに座ったりする人がいる。● 先生に対して『…じゃね?』『ヤバいっすよ』等の友達言葉で話す人がいる。● 極端な大声や笑い声をあげたり、必要以上に手を叩いたりする人がいる。● 教室移動の途中で口笛を吹く人がいる。● 私の姿を見たとたん、タブレットを操作しホーム画面に戻す人がいる。● くしを出して前髪を整える人がいる。
以上は一例にすぎず、私が「それっていいのかな?」と思う細かなことは多岐多様にわたります。一方で、それら全てに共通する「それっていいのかな?」もあります。それは、いずれの人も私が教室に入ると、はっとしたようにその言動を改めるということです。さらに周りの人たちも「校長先生が来たよ」と言いたげな目くばせで、その人に注意を促すということです。つまり、やっている本人も見ている周りの人も「それって、実はいけない」と分かっているということなのです。
正直に言うと、「それ」を目にすることは、以前もあるにはありました。ただ、最近「それ」が増えたと感覚的に感じることが、私は「少し気になる」のです。
1枚の割れたガラス窓が、やがて重大な犯罪を引き起こすように、授業中の「それって、実はいけない」が積み重なり蔓延していくと、いつか授業崩壊や学級崩壊を引き起こす…。そうして「学校が荒れた時代」を経験してきた私は、口うるさい校長と思われても、最初の「それ」を放っておくことができません。
この先も板三中がGentlemanの学校として授業の落ち着いた雰囲気を保つために、まず大事なことは、一人ひとりが最初の窓を割らないようにすることです。それでも間違えて割ってしまった人がいたら、周りの人が「それって、実はいけない」と、優しく諭してあげてください。