インフルエンザなどの感染症が猛威を振るっていますが、とりあえず3学期も順調にスタートしました。とはいえ3つの学期で最も短い今学期は、早くも残すところ2か月余りです。だからこそ、改めて1時間1時間の授業を大切にしてもらいたいと思います。
そんなこともあり、今日は授業に関する話をさせてください。
板三中では、教科に関係なく全ての授業において『楽しい授業』を目指しています。では、『楽しい授業』とは、一体どんな授業を指すのでしょうか?
結論を先に言います。それは『わかる授業』です。授業を受けた結果、それまでわからなかったことがわかるようになった、できなかったことができるようになった、知らなかったことを知ることができた…。そんな実感をもてる授業が『わかる授業』であり『楽しい授業』です。
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逆の言い方をすれば、皆さんにとって何一つわかることのなかった授業、発見のなかった授業、何かができるようになったという実感のもてなかった授業は『つまらない授業』だと言えるでしょう。
板三中の先生方は、熱心な教材研究、Chromebookを有効活用した授業スタイル、さまざまな研修会への参加、そして何よりDSTP(誰1人生徒を取り残さないプロジェクト)の視点に立った個別最適な学び・協働的な学びの導入などを通し『わかる授業』を実践されようとしています。
ただし、それだけで『わかる授業』を創ることは不可能です。
なぜなら、授業とは何かを「わからせたい」と願う先生と、「わかりたい」と願う生徒との協働作業だからです。この場合の「協働」には「同じ目的をもつ者どうしが、力を合わせて活動する」という意味があります。
英語では「 collaboration(コラボレーション)」や「 partnership(パートナーシップ)」という言葉が当てはまります。「パートナーシップ」という言葉からもわかるように、先生と生徒は『わかる授業=楽しい授業』を創るという共通の目的をもったパートナー(相棒)なのです。
したがって、もし皆さんが「今日の授業はよくわかった、楽しかった」と思えたならば、その楽しさの50%はパートナーとしての先生が、50%は一方のパートナーである皆さんが創り出したのです。
逆に「今日の授業はわからなかった、つまらなかった」と思ったときも、私は先生の責任と皆さんの責任は50—50(フィフティ・フィフティ)だと考えます。
改めて、確認しておきます。机に突っ伏したり授業と関係ないことをしたりしている人、Chromebookも含め授業を円滑に進めるうえで必要な教材教具を忘れてくる人、活気ある授業と騒がしい授業の区別がつかない人…。そんな人には授業を楽しむことはできないし、まして「今日の授業は楽しくなかった(つまらなかった)」などと言う資格もありません。
逆に、(板三中にはいないはずですが)もし先生が『わかる授業=楽しい授業』を創る責任を果たしていないと感じたときは、私に報告してください。
例えば、今例として挙げたような生徒に適切な指導を行わない先生、その授業に「わからせる」ための工夫が全く見られない先生、「誰1人生徒を取り残さない」という情熱が感じられない先生がいたなら、私はその先生に、パートナーとしての責任を果たすよう働きかけます。
それが、校長である私の責任です。
繰り返しますが、生徒の皆さんは、基本的には授業の「受け手」です。ただし、単なる「受け手」ではありません。50%の「受け手」であると同時に、50%の「創り手」でもあるのです。
先生の「わからせたい」という願いと、皆さん自身の「わかりたい」という願いを融合させて、『楽しい授業』を創り出していきましょう。