もうずいぶん前のことのようにも思えますが、この夏休み中にパリ五輪が開催されていました。そのパリ五輪には、9年前まで勤務していた学校の教え子が何人か出場していました。
その学校の隣に、将来のオリンピアンを目指し全国から集まった中学生が、トレーニングと生活の拠点にしている施設があったからです。
レスリングで銅メダルに輝いた須崎選手、卓球女子団体で銀メダルの平野選手、フェンシング男子団体金メダルの敷根選手、同じく女子団体銅メダルの高嶋選手など、教え子の成長には感慨深いものがあり、当時を思い出しながら声援を送りました。
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ただ、それとは別の意味で、感慨深く観戦した種目もありました。それは、サーフィンです。サーフィンがオリンピックの正式種目となったのは、五十嵐選手が銀メダルを獲得した3年前の東京五輪です。
実は、今はかなり遠ざかっていますが、かつて私もこのスポーツに熱中していた時期があります。
きっかけは、大学1年生の時に『Big Wednesday(ビッグ・ウェンズデー)』というサーフィンをモチーフにした青春映画を見たことです。しかし、当時サーフィンは「ヤンキーの道楽」というレッテルを貼られていました。「スポーツ」とさえ言ってもらえません。「道楽」です。
だから、教員になった当時は、私がサーフィンをやっていることを知った先輩に「ついにサーファーが教師になる時代になったか」と、呆れたような口ぶりで言われたこともあります。
私がサーフィンを感慨深く観戦した背景には、そんな過去があるのです。かつての「ヤンキーの道楽」が、オリンピック種目となり、世界中の人が見事なパフォーマンスに歓声を上げ、惜しみない拍手を送る…。
まさに「隔世の感(時代が変わったという感慨)」とは、こういうことを言うのだろうと思いました。
音楽でも、似たような経験があります。7年生の英語の教科書には、イギリスのロックバンド・ビートルズの『 Hello, Goodbye 』という曲が載っています。
私が中学生の頃、それらビートルズの曲を歌ったり聴いたりしていると、親から「不良の音楽なんて…」とにらまれました。ビートルズの演奏スタイルである長髪とギターや、聞き慣れないロックという洋楽は、昭和の大人の価値観では受け入れ難かったのでしょう。
それが、今や教科書で「世代を超えて愛されている歌」とまで紹介されているのです。これもまた私にとっては「隔世の感」と言えます。
何に価値を認めるかという価値観は、時代だけでなく人によっても異なります。多数派の価値観が正しくて、少数派の価値観が間違っているということはありません。
また、グローバル化や情報化が進んだ現代は、ますます価値観が多様化しています。したがって、自分と同じ価値観の人ばかり集まった集団など、あり得ません。
にもかかわらず、集団の中で他者に自分の価値観を押しつけようとすると、その人は誰からも相手にされなくなるでしょう。逆に、孤立を恐れるあまり、他者の価値観に自分を合わせてばかりいると、いつか自分を見失ってしまいます。
自分にとって居心地の良い集団は、皆にとっても居心地の良い集団です。そして、皆にとって居心地の良い集団とは、お互いの価値観を認め合える集団、価値観の多様性を尊重できる集団です。一人一人が胸を張って「これが、私です」と言い合える集団のことです。
長い2学期、ぜひそんなことを踏まえて、居心地の良い学級・学年集団を築いていってください。
蛇足ですが、サーフボードを2枚持っている私は、あと何年かしたら小2の孫にサーフィンを教え、もう1度「波乗りジョニー」を復活させたいと考えています。
令和の現代では、さすがにもうサーフィンを「ヤンキーの道楽」と言う人はいないでしょうが、今度は「年寄りの冷や水」と笑われるかもしれません。それでも私は、こう思っているのです。
THIS IS ME(これが、私)