8年 国語
- 公開日
- 2025/11/06
- 更新日
- 2025/11/06
日々の様子
+1
8年生の国語です。
古典単元の、『平家物語』に取り組んでいます。
『平家物語』の文学史!ここはおさえよう編!
作品の概要
ジャンル: 軍記物語(いくさの記録と物語)
成立時期: 鎌倉時代
作者: 不明(琵琶法師によって語り伝えられたものがまとめられたとされています。)
テーマ: 平家の栄枯盛衰(栄えて滅びる様子)を通じて、「無常観(むじょうかん)」を描く。
無常観とは: 世の中のものはすべて移り変わり、永遠不変なものはないという仏教的な考え方。
特徴
語り: 琵琶(びわ)という楽器の伴奏に合わせて、盲目の僧侶である琵琶法師によって語り伝えられました。
そのため、独特の七五調のリズムと音楽的な調子を持っています。
主題の表現: 有名な冒頭(祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり...)に、この作品の主題である
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」(すべてのものは移り変わる)が明確に示されています。
「扇の的」の場面解説
「扇の的」は、源氏と平家が戦った屋島(やしま)の戦い(現在の香川県)の一場面です。
あらすじ
状況: 源義経(みなもとのよしつね)率いる源氏が平家を追い詰めますが、平家は船で海上に逃れます。
挑戦: 平家側の船から、日の丸の扇を竿の先に立てた女性(玉虫御前など諸説あり)が現れ、
源氏に向かって「これを射抜いてみろ」と挑発します。この扇を射抜けるかで、戦いの行方を占う意味もありました。
弓の名手: 義経は、弓の名手である那須与一(なすのよいち)に命じます。与一はまだ若い武士で、
もし失敗すれば源氏全体の士気にかかわるという極度のプレッシャーにさらされます。
祈り: 与一は、「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)」と心の中で神に祈り、命懸けで弓を引きます。
的中: 見事に与一の放った鏑矢(かぶらや)は扇の要(かなめ)を射抜き、扇は空中に舞い上がって海に散ります。
その後の悲劇: 平家側はあまりの見事さに感動して舞い上がりますが、義経は与一にその中の武士を射殺すよう命じます。
与一は迷いながらも命令に従い、武士の悲哀を感じさせます。
学習のポイント
登場人物の心情: 特に那須与一の葛藤(プレッシャー、成功への願い、武士としての命令への服従)を読み取ることが重要です。
「射損ずる(いそこんずる)ならば、弓切り折りて自害せん」(もし射損じたら、弓を折って自害しよう)という覚悟。
古典の表現:
歴史的仮名遣いや古典独特の言い回しに慣れる。
対句表現(同じような言葉の並び)やリズム(七五調)といった文章の音楽性を味わう。
武士道と無常観: 華々しい武功の裏にある、与一の苦悩や、平家の衰亡、命の儚さといった「もののあわれ」や「無常観」を理解する。
教科書でよく出るその他の場面(補足)
冒頭(祇園精舎): 全体の主題である「無常観」を理解するための基本。
鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし: 源義経が断崖絶壁を馬で駆け下りる奇襲戦。義経の豪胆さと非情さが描かれる。
敦盛の最期(あつもり): 源氏の武将・熊谷直実(くまがいなおざね)が、若き平家の武将・平敦盛を討つ場面。
武士の情けと悲劇性が色濃く描かれる。
どの場面でも、武士たちの生き方やもののあわれ、そして無常観が主題となっています。
「敦盛の最期」の解説編!要チェック!
「敦盛の最期」は、源氏と平家が激突した一ノ谷(いちのたに)の戦い(現在の神戸市)での、
源氏方の武将と平家方の若武者との悲劇的な出会いと別れを描いた名場面です。
あらすじ
状況: 源義経の奇襲により平家は敗走し、残された武士たちは船に乗って海上へ逃れようとしています。
追跡: 源氏方の老練な武将、熊谷次郎直実(くまがいのじろうなおざね)は、「名のある大将を討ち取って手柄を立てたい」と、
一騎で汀(みぎわ、波打ち際)へと駆けつけます。
出会い: 直実は、華やかな鎧をまとった一人の若武者が海に馬を乗り入れて船に向かっているのを見つけます。
直実は「大将軍とこそ見参らせたれ(大将軍だとお見受けした)」と呼びかけ、扇で招き返します。
組討ちと葛藤: 若武者は引き返して直実と組み合います。直実が組み伏せ、兜(かぶと)を押し上げて顔を見ると、
薄化粧でお歯黒をした16、7歳ほどの美しい少年でした。直実の息子である小次郎と同年代です。
直実は「この殿を討ち奉るとも、勝てる戦に勝つことはなかろうし、討たずとも、勝てる戦に負けることはよもあらじ」と考えます。
我が子ほどの若者を討つことに深い情を感じ、「いかにもして助けまいらせばや(何とかして助けてあげたい)」と強く思います。
運命の決断: しかし、直実が後ろを振り向くと、味方の土肥(どい)・梶原(かじわら)ら五十騎ばかりが迫っていました。
彼らに討たれるくらいなら、同じくは直実の手にかけて、死後の供養をしようと決断します。
最期: 若武者は「名のらずとも、首を取って人に見せよ。見知る者がいるだろう」と堂々と答えます。
直実は「あわれ、弓矢取る身ほど口惜しかりけることはなし(ああ、武士ほど情けない職業はない)」とさめざめと泣きながら、
泣く泣くその首を切ります。
笛の発見と悟り: 直実が首を包むために鎧直垂(よろいひたたれ)を脱がせると、錦(にしき)の袋に入った笛を腰に差していました。
直実は、昨夜、平家方が陣中で優雅に音楽を奏でていたのはこの若武者たちだったと悟ります。
後に、この若武者が平清盛の甥にあたる平敦盛(たいらのあつもり)で、17歳であったことが分かります。
出家: この悲劇的な出来事を機に、直実は世の無常を感じ、後に出家(仏門に入ること)して僧となります。
学習のポイント
この場面の最大のポイントは、熊谷直実の「葛藤(かっとう)」と、そこから生まれる「無常観」です。
二つの「あわれ」の対比:
武士としての義務(手柄)と、父としての情(人道)との激しい葛藤。
平家方の貴族的・優雅な文化(笛)と、源氏方の武骨な文化の対比。
直実の心情の変化:
「あっぱれよからう大将軍」と手柄を立てようとする武士の心。
若武者の容顔を見て「助けまいらせばや」と思う人としての情(慈悲)。
味方の接近により「さてしもあるべきことならねば」と泣く泣く首を切る悲哀。
最後に「弓矢取る身ほど口惜しかりけることはなし」と人生の無常を悟る境地。
「無常観」の表現:
笛という雅なものが戦場という厳しい現実の中で見つかるという対比。
華々しい未来があったはずの若武者・敦盛の命が、一瞬にして消えてしまう命の儚さ。
直実が最終的に出家することにつながる、世の全ては移り変わり、永遠ではないという主題。
この場面を読むことで、武士の時代における生きることの厳しさと人間の情けの深さを感じ取ることができます。
もう一歩!踏み込んで頂点への道!
登場人物の心情と表現技法に焦点を当ててみよう!
熊谷直実(くまがい の なおざね)の葛藤
この物語の最大の眼目は、老練な武士である直実が抱く人間的な苦悩です。
1. 武士としての誇りと義務
手柄を求める心: 直実は、海へ逃げる若武者を追いかけます。
これは「一の谷の合戦」における源氏の勝利を確実にするための武士としての義務であり、彼自身の名誉のためでもありました。
「組討(くみうち)」の描写: 直実が若武者を組み伏せる場面の描写は、直実の武骨さと熟練した戦士としての姿を強調しています。
2. 父としての情愛
小次郎(こじろう)との重ね合わせ: 若武者の顔を見た直実は、その容貌の美しさと若さから、
自分の息子・小次郎(16歳)の姿を重ねます。「我が子を討つに等しい」という感覚が、直実の心に決定的な動揺をもたらします。
「助けまいらせばや」という願い: 「何とかして助けてあげたい」という強い情愛は、武士の掟よりも人間の情を優先させたいという、
直実の本能的な優しさです。
3. 運命的な諦念と悲嘆
味方の接近: 後ろから味方の軍勢が迫ってきたことが、直実の運命を決定づけます。「生け捕りにしても、いずれ他の武士に討たれるなら、
いっそ私自身が供養してやろう」という、悲劇的な論理に至ります。
「弓矢取る身ほど口惜しかりけることはなし」: 首を討った直実が発するこの言葉は、武士という職業の非情さ、
残酷さを嘆く究極の悲哀の表現です。この悲しみこそが、直実を出家(入道)へと導く動機となりました。
平敦盛(たいら の あつもり)の優雅と儚さ
討たれた若武者・敦盛は、単なる武士ではなく、平家の貴族的な文化を象徴する人物として描かれています。
若さと美しさ: 敦盛は17歳という若さで、薄化粧、お歯黒という当時の貴族のたしなみをしていました。
これは、彼が戦場にそぐわない優美さを持っていたことを示し、直実の哀れみを一層深めます。
笛の存在: 敦盛が腰に差していた「小枝(さえだ)」という名の笛は、彼が優雅な宮廷文化の中で育った証です。
前夜に平家の陣営から聞こえてきた笛の音の主が敦盛だったことを知った直実は、
武士の世の無情と、敦盛という才ある若者の命の儚さを強く感じます。
笛=雅(みやび)と戦場=俗(ぞく)という、対極の要素の並置が悲劇性を高めています。
『平家物語』の表現技法
この場面の感動の深さは、巧みな表現技法によって支えられています。
七五調のリズム: 琵琶法師による「語り物」として発達したため、「あっぱれよからう大将軍」「熊谷は涙をおさへて」など、
七音と五音を基調とした心地よいリズムが特徴です。これは読者を物語に引き込み、情感を高める効果があります。
対比(コントラスト):
直実(老・武骨・源氏)と敦盛(若・優美・平家)の対比。
戦場の非情と笛の音の優美さの対比。
「武士の務め」と「人としての情」の対比。
さし出し(後出しの情報): 最初に武士を討ち取り、その後で笛や名前といった重要な情報を「さし出す」ことで、
読者や直実の驚きと悲嘆をより強く引き出しています。
これらの要素が、「敦盛の最期」を『平家物語』の「無常観」を最もよく表す場面の一つとしています。
7年生の時に、平安文学に触れ、8年生で鎌倉文学に触れて、
文学作品は、その時代を映す鏡のようなものだという感覚を味わえたのではないでしょうか。
9年生では、江戸文学です。松尾芭蕉とともに、古き良き日本の旅を楽しみましょうね。
古典作品には、現代を生きる我々をも惹きつける魅力があること、またその所以を探ること、
そこから学びえることを後世に受け継いでいきましょう。
日本が誇る、歴史的文学の賜物です。
記事 風見 一統