学校日記

おいしい給食「生揚げのそぼろ煮」

公開日
2025/06/16
更新日
2025/06/16

日々の様子

6月16日(月)

今日のメニューは、ごはん、のりの佃煮、生揚げのそぼろ煮、野菜和え、牛乳です。



歴史をさかのぼること400余年。

江戸の佃島(現在の東京都中央区)の漁民が、

江戸前で捕った小魚や貝類を甘辛く煮て食べていました。

当時、冷蔵庫なんてものはもちろんありません。

佃島漁民が、売り物にならない小魚等を保存もできる形で美味しく調理したのが

「佃煮」という名前の由来。不漁の際の備蓄食品でもあったといいます。

これが、安価で日持ちもすると江戸中で評判を呼び、やがて全国に広まったのです。



佃島の漁民の故郷は、実は関西の佃村(現在の大阪府西淀川区佃)。

かの徳川家康が江戸に入来の際、摂津の佃村に住んでいた漁民たちを江戸に呼び寄せ、特別の漁業権を与えました。

なぜ佃村の漁民か?なぜ特別待遇か?そこには大きな理由があります。

家康公が生涯忘れることのできない苦難に遭遇した際、こぞって公を助けたのが佃の漁民だったのです。






1582年6月2日早朝。明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺で倒れた時、家康の一行はわずかな手勢とともに堺にいました。

見つかれば、信長の盟友である家康も当然標的です。

なんとしても岡崎城へもどらねば……家康一行は決死の覚悟で脱出奇策をとりました。

ところが神崎川(現在の大阪市住吉区)で足留めを食らいます。川を渡る舟が無かったからです。

ここに救世主のごとく現われたのが、近くの佃村の庄屋・森孫右衛門を筆頭とする漁民たち。

手持ちの漁船と、不漁の時にとかねてより備蓄していた大事な小魚煮を道中食として用意したのです。

気候の悪い時期に人里離れた山道や海路を必死に駆け抜けねばならない一行にとって、

この小魚煮がどれだけ身を助けてくれたか、ありがたいものだったかは、言うまでもありません。

以来、佃村の人々に対する家康の信任は、特別なものになりました。

後の大阪の陣に備えて、佃村の漁民に大名屋敷の台所へ出入りできる特権を与え、

大阪方の動向を探る隠密の役割をつとめさせたという言い伝えもあります。

日本の料理には、古くから代々受け継がれてきたものがあるのですね。

その時代の人たちの想いが詰まり、今の時代にもしっかりと受け継がれている

日本の伝統料理、和食。

近年は、ファーストフードなど、外国食が色濃く、和食は手が込んでいて

忙しい日本人には敬遠されがちですが、我が国の伝統・文化を絶やすことなく

後世にまで繫げていくことも我々現代人の日本人としての心なのでしょう。

今日も、感謝の心をもって、美味しく噛み締めて頂きましょう。


   記事  風見 一統