学校日記

おいしい給食「くじらのかりん揚げ」全国学校給食週間

公開日
2026/01/28
更新日
2026/01/28

日々の様子

1月28日(水)昭和27年頃の給食

今日のメニューは、コッペパン、いちごジャム、くじらのかりん揚げ、野菜スープ、牛乳です。

昭和27年(1952年)頃は、日本の給食の歴史において大きな転換期でした。

戦後の食糧難を脱しつつある一方で、まだ現代のような豊かな献立とは言い難い、

独自の文化が花開いた時期でもあります。


1. 昭和27年の給食の立ち位置

この年は「完全給食(パン・ミルク・おかず)」が全国の小学校で実施されるようになった象徴的な年です。

当時はまだ脱脂粉乳(スキムミルク)が主流で、現代のような美味しい牛乳ではありませんでしたが、貴重な栄養源でした。


代表的なメインメニュー:くじら料理

当時、牛・豚・鶏肉は非常に高価だったため、安価でタンパク質が豊富なくじら肉は給食の救世主でした。


くじらの竜田揚げ: 生姜醤油で下味をつけ、片栗粉をまぶして揚げたもの。

昭和20年代〜40年代にかけて不動の人気ナンバーワンメニューでした。

冷めると少し硬くなりますが、噛めば噛むほど味が出るのが特徴です。


くじらのオーロラソース和え: 揚げたくじら肉をケチャップベースのソースで和えたもの。


くじら汁: 野菜と一緒に煮込んだ汁物。


今日は、くじらのかりん揚げ:

「かりん揚げ」の名前の由来

色が似ている: 揚げ上がりの色が、植物の「カリン(木瓜)」の実の色や、

お菓子の「かりんとう」の濃い茶色に似ていたから、という説が有力です。


食感: 竜田揚げよりも少し衣が厚めで、カリッとした歯ごたえがあったためそう呼ばれることもありました。


 昭和27年流・かりん揚げの正体

当時のくじら肉は、現代の高級な刺身用とは異なり、少しクセ(血生臭さ)がありました。

それを美味しく食べるための知恵が詰まっていました。


徹底した下味: 生姜汁、醤油、そして当時は貴重だったお酒に漬け込み、臭みを消します。


衣の工夫: 片栗粉(または小麦粉)をまぶして揚げます。当時は「二度揚げ」をすることも多く、

外側はガリッとするほど硬く、中はくじら特有の弾力がある仕上がりでした。


味付けの濃さ: 冷めても美味しく、パサパサのコッペパンが進むように、

かなりしっかりとした濃い目の味付けが東京の給食の特徴でした。


 東京の子どもたちの思い出

昭和27年頃の東京の小学生にとって、かりん揚げはまさに「ご馳走」でした。


争奪戦: 欠席した子の分をめぐって、クラスでじゃんけん大会が起きるほどの人気でした。


「噛み切れない」のも思い出: 当時のくじらは筋が多い部位も混ざっており、

「いつまでも噛み切れずに口の中に残っていた」というのも、この世代の方々が共通して持つ懐かしいエピソードです。


紙に包んで: お箸がまだ普及しきっていない学校では、先割れスプーンで刺したり、

パンに挟んで「くじらバーガー」風にして食べる子もいました。


現代との違い

現代の給食でも稀に「くじらのかりん揚げ」が登場することがありますが、今のものは肉が柔らかく、臭みも全くありません。

昭和27年当時は、「あの硬さと、生姜の効いた濃い醤油の匂い」こそが、学校の廊下まで漂ってくる

「今日の給食は当たりだ!」と確信させる幸せの香りだったのです。


2. その他の定番メニュー

当時の食卓を彩った、シンプルながらもお腹を満たしてくれた主食とおかずたちです。


コッペパン: アメリカから届いた小麦粉で作られた、少しパサついた大きなパン。

マーガリンやジャム、時には「ピーナッツ粉」をつけて食べていました。

今日は、いちごジャム

昭和27年頃の東京の給食で出されていた「いちごジャム」は、

現代の私たちがスーパーで買うような、果肉がゴロゴロ入った瑞々しいものとは少し趣が異なりました。

パサついたコッペパンをいかに喉に流し込むか、当時の子どもたちにとってジャムはまさに「魔法の調味料」でした。


 どんなパッケージだった?

当時はまだ、今のようなプラスチックの小袋(ディスペンパック)ではありませんでした。


紙カップまたは缶詰: 大容量の缶詰や大きな容器に入ったものを、給食当番がスプーンや

ヘラで一人ひとりの皿(またはパンの上)に盛り付けていました。


個包装の走り: 昭和27年頃から徐々に、「パラフィン紙(ロウ引きの紙)」に包まれた四角いジャムや、

小さなアルミ箔のカップに入ったものが登場し始めました。これを指で

一生懸命かき出してパンに塗るのが当時のスタイルです。


味と見た目の特徴

当時のいちごジャムは、現代よりもずっと「真っ赤」で「粘り気が強かった」のが特徴です。


強烈な赤色: 食用色素(紅花などではなく、もっと合成的なもの)がしっかり使われており、

服につくと真っ赤に染まって落ちないほどでした。


ゼリーのような質感: ペクチンや寒天が多く使われていたため、プルプルとしていて、

果肉感はほとんどありません。いちごの粒々(種)が少し混ざっていれば「当たり」という感覚でした。


ガツンとくる甘さ: 砂糖が貴重な時代、ジャムは非常に甘く作られていました。

脱脂粉乳の独特の臭みを消すために、ジャムを口に含んでからミルクを流し込むという

「裏技」を使う子もいたようです。


 東京のパン事情とジャム

東京の給食はパンが主食だったため、ジャムのバリエーションも少しずつ増えていきました。


イチゴ以外の定番: イチゴが一番人気でしたが、他にもアンズジャムや、

マーマレード(当時は苦味が強かった)、そしてマーガリンがよく出ていました。


「ピーナッツ粉」との混同: 昭和20年代後半には、粉末状のピーナッツに砂糖を混ぜたものも出ており、

これら「パンの友」は、当時の子どもたちにとって学校へ行く最大の楽しみの一つでした。


 ジャムの日の特別な食べ方

サンドイッチ: コッペパンに真ん中に割れ目を入れ、そこに大事にジャムを塗り込みます。


端っこまで塗る: 貴重な甘みなので、パンの端の端まで薄く引き伸ばして食べるのが、当時の子どもたちの「技術」でした。


余談:ジャムの日の「脱脂粉乳」 不思議なことに、甘いジャムがある日は、

あの飲みにくい脱脂粉乳も少しだけ「ご馳走」に感じられたそうです。

甘みとミルクの組み合わせは、戦後の東京っ子たちにとって最高の贅沢でした。



脱脂粉乳(スキムミルク): 大きなバケツで溶かしたものを配膳していました。

独特の匂いがあり、当時の子どもたちにとっては「鼻をつまんで飲む」試練の味でもありました。


カレーシチュー: 現代のカレーライスではなく、小麦粉を炒めて作った黄色くてトロみのある汁物。


コロッケ: 「ごちそう」の部類に入る人気おかずです。


3. 当時の給食風景

アルマイトの食器: 銀色の軽い金属製の食器が使われていました。

カチャカチャと音が鳴るのが教室の日常でした。


先割れスプーン: これ一本でパンを刺し、おかずを食べ、汁物をすくうという万能な道具が登場し始めた頃です。


豆知識:なぜ「くじら」だったのか?

当時の日本は国際捕鯨委員会(IWC)に加盟し、

南極海での捕鯨が本格化していました。

冷凍技術の向上もあり、くじらは「安くて栄養満点な国民の食料」として

国を挙げて推奨されていたのです。


昭和27年当時の東京の小学校は、戦後の傷跡が残りつつも、

復興に向けて活気に溢れていた時期です。

現代の明るい校舎とは全く異なる、当時のリアルな学校風景とは・・・


1. 校舎と教室:木と石炭の匂い

木造校舎: 東京でも、都心部を除けばほとんどが木造の2階建てでした。

長い廊下は「バケツを持って立たされる」場所でもあり、生徒が雑巾で磨き上げるのが日課でした。


ダルマストーブ: 冬の暖房は、教室の真ん中に置かれた石炭ストーブです。

当番が「石炭小屋」から燃料を運び、先生が火をつけます。

給食のコッペパンをストーブの上で焼いて、香ばしくして食べるのが密かな楽しみでした。


すきま風: 窓枠は木製でガタつきがあり、冬はすきま風で非常に寒かったため、

子供たちは厚手の綿入れ半纏(はんてん)やセーターを着込んで授業を受けていました。


2. 登校と持ち物:質素な道具たち

服装: 制服がある学校は稀で、多くは私服。ズボンやつぎはぎのある服も珍しくありませんでした。

足元は下駄やズック靴(布靴)が主流です。


ランドセル: まだ高級品で、誰もが持っているわけではありませんでした。

布製の肩掛けカバンや、風呂敷に教科書を包んで登校する子も多くいました。


筆箱: 木箱の筆箱に、短くなった鉛筆を「補助軸(ホルダー)」に差し込んで大切に使っていました。


3. 給食の時間:教室がレストランに

昭和27年頃の給食風景は、現代よりもずっと「共同作業」の色が濃いものでした。


給食当番: 白いかっぽう着に三角巾(または帽子)をつけ、

重いアルマイトの食缶を2人で運びます。


アルマイトの食器: 鈍く光る銀色の皿と、バケツのような容器。落とすと「ガシャーン!」と大きな音が教室中に響き渡りました。


先割れスプーン: 「これ一本で何でも食べる」スタイルが定着した頃です。


感謝の言葉: 食べる前には「お米を作った農家の方、パンを焼いた方、

お父さんお母さんありがとう」といった

合唱をしてから食べる習慣が厳格にありました。


4. 放課後の遊び:空き地がパラダイス

当時の東京にはまだ空き地や焼け跡の原っぱが残っており、子供たちの格好の遊び場でした。


遊び: メンコ、ビー玉、竹馬、釘刺し、ゴム飛びなど、道具を使わない、あるいは手作りの遊びが主流でした。


紙芝居屋: 放課後、拍子木の音とともに自転車に乗った紙芝居屋さんがやってきます。

水飴やソースせんべいを買い、物語に聞き入るのが当時の東京の子供たちの最大の娯楽でした。


東京の「二部授業」 昭和27年当時は子供の数が爆発的に

増えた(団塊の世代)ため、教室が足りず、

午前組と午後組に分かれて授業を受ける

「二部授業」を行う学校が東京23区内でも多く見られました。


今日の給食は、いかがでしたか。昭和の雰囲気を感じ取ることができたでしょうか。

まだ、校長先生が生まれる前の時代のお話です。

映画やドラマになっている「おいしい給食」では、この当時の給食が

再現されていますね。先割れスプーンも登場するため、

よくイメージができることでしょう。いただきますの前には、

全員で校歌を熱唱して、いただきますの号令がかかりますね。


親戚などが集まる際には、誰しもが過ごした「学校生活」をテーマに

話してみると、時代の違いや、今の時代の良さについて

改めて実感できることでしょう。


今まで、鯨が展示されていましたが、ついに食することができましたね。

小学校で食べたことがあるかもしれませんが、

年に一度、食べるか食べないかの鯨給食は、満喫できたでしょうか。

給食を食べる機会がなくなると、もう食べることはないかもしれません。

感謝の気持ちを忘れずに、美味しく頂きましょう。



                   記事 風見 一統