今年92歳になった私の母は、年齢的なこともあり直近の記憶が少々心もとなくなっています。逆に、ずっと昔の記憶は明瞭で、時折私の小学生時代の話もしたりします。そして、その手の話になると、決まって「お前は、変わった子だった」と言います。
小学生時代の私は、いわゆる「わんぱく小僧」でした。外遊びでは隣近所の塀や庭の木、下手をすると家の屋根にまで上って遊びまわるような子で、母はよく苦情を言われていました。
小学6年生のときの担任の先生は、あるグラフを教室に掲示していました。グラフにはクラス全員の児童名が書かれてあり、その児童が「あること」をすると、名前の上に丸いシールを貼り足していくようになっています。そして、グラフには赤いシール用と青いシール用がありました。
ある日、母が保護者会で教室に来たとき、そのグラフを見て期待しました。なぜなら、赤いシールも青いシールも、私がダントツで1番多かったからです。「いつも近所から苦情を言われている我が子が、何を頑張ったのだろう」
しかし、そんな母の期待は、グラフを覗き込んだ瞬間打ち砕かれました。なぜなら、赤いシールは「宿題忘れ」を、青いシールは「持ち物忘れ」を意味していたからです。
ただし、母が私を「変わった子」と思った1番の理由は、教室にあったもう1つのグラフのせいだったかもしれません。それは、黄色のシール用で、そのグラフも私がダントツの1位。なんと私は、グラフのシール獲得3冠王だったのです。
その黄色いシールが表すものは、学校の図書室で借りた本の数でした。近所から苦情を言われる「わんぱく小僧」で、クラスでは「宿題忘れ」と「持ち物忘れ」のチャンピオン。一方で、家に帰れば食事と風呂、寝ているとき以外は「本の虫」。確かに私は「変わった子」だったようです。
今回私が、恥を忍んでそんなエピソードを話したのは、皆さんに「inclusive(インクルーシブ)」という言葉を知ってもらいたかったからです。インクルーシブは「包括的な」という訳し方をしますが、分かりやすく言えば「全てを包み込む様子」のことです。
「インクルーシブ教育」という言葉もあるように、学校はあらゆる生徒を包み込む場所、つまり、誰1人生徒が取り残されない場所、全ての生徒にとって居心地の良い場所でなければなりません。
それが学校であれ社会であれ、集団の中には必ず「ちょっと変わっている」「みんなと違う」と思われる人がいます。ただ、残念ながら日本では、学校も社会も「皆に合わせること」「多数派と同じであること」を暗に求める風潮があります。1度ぐらい聞いたことがあるかもしれませんが、それを「同調圧力」といいます。
学校をインクルーシブな場所、つまり、全ての生徒にとって居心地の良い場所にするためには「ちょっと変わっている」も「みんなと違う」も、それを相手の個性として尊重することが大事です。相手を自分の物差しで測り、それに合わないと異質なものと決めつけ排除したり、自分と同質化する圧力をかけたりしてはいけません。
ちょっと変わっている人や、みんなと違う人が輝ける学校は、誰もが輝ける学校です。そして、誰もが輝ける学校は、自分自身が輝ける学校でもあります。金子みすゞの詩に【みんなちがって みんないい】という一節がありますが、さらにそれに続けて、私はこう思うのです。
【みんなちがって みんないい みんな同じより、断然いい】
最後に、誤解のないよう実体験に基づいてつけ添えておきます。それが宿題であれ持ち物であれ、忘れ物は間接的に誰かに迷惑をかけるし、何より自分が一番損をします。良い子の皆さんは、絶対に真似しないように。