バスの車窓より!
- 公開日
- 2025/09/24
- 更新日
- 2025/09/24
日々の様子
9年生は、大阪目指して、絶賛バス移動中です。
この後は、串カツを食べて、解散式を経て、
新大阪駅より新幹線に乗車します。
バスから見える景色には、なんとなんと
「遣唐使船」です!
奈良と言えば、「行基」のことも忘れてはなりませんね。後で、触れますね。
奈良時代の「遣唐使船」と「行基(ぎょうき)」は、仏教伝来や文化交流において非常に重要な役割を果たしました。
しかし、行基の墓は奈良にはなく、大阪にあります。
遣唐使船(けんとうしせん)
遣唐使船は、奈良時代から平安時代にかけて、日本から中国の唐へ派遣された使節団が乗った船です。
目的: 仏教や文化、政治制度、科学技術などを学ぶために派遣されました。
航海の困難さ:
当時の船は、現代のような高性能なものではなく、帆と櫂を頼りに航海していました。
嵐や潮流の影響を受けやすく、遭難する船も少なくありませんでした。多くの人々が命がけでこの航海に臨みました。
唐へ渡航するルートは主に四つあり、それぞれに危険が伴いました。
乗船していた人々:
大使(たいし): 使節団の最高責任者。
留学生: 僧侶(最澄や空海など)や学者(吉備真備など)が、長期にわたって唐に滞在し、最新の知識を学びました。
航海士や船大工: 船を操り、修理する専門家。
役割: 遣唐使船の往来を通じて、日本は中国の進んだ文化や技術を積極的に取り入れ、
奈良時代の律令国家体制や仏教文化を大いに発展させました。正倉院宝物の中には、遣唐使が持ち帰った貴重な品々も含まれています。
行基(ぎょうき)と墓
行基は、奈良時代に活躍した高僧で、単なる僧侶ではなく、社会事業家としての側面が非常に強い人物でした。
庶民のヒーローとして、親しまれてきた人物のひとりです。
社会事業:
貧しい人々を救済し、橋や道路、堤防などを次々と建設しました。
全国各地に寺院や道場を設立し、仏教を民衆に広めました。この活動から、「行基菩薩(ぎょうきぼさつ)」と慕われました。
東大寺大仏建立への貢献:
聖武天皇は、東大寺の大仏建立を発願しましたが、その巨大な費用や労働力を集めることは困難でした。
そこで天皇は、民衆から絶大な支持を得ていた行基に協力を求めました。
行基は、人々に大仏建立の意義を説き、寄付や労働力を集めるのに大きな役割を果たしました。
この功績から、行基は東大寺の大仏建立を導いた人物として、大僧正(だいそうじょう)という最高位の僧位を授けられました。
行基の墓
行基の墓は、奈良にはなく、大阪府の「竹林寺(ちくりんじ)」にあります。
所在地: 大阪府堺市南区別所
なぜ大阪に?: 行基は堺市の出身であり、晩年に竹林寺を建てたため、この地に葬られました。
特徴: 墓は行基の遺骨を納めたと伝えられる五輪塔(ごりんとう)で、国の史跡に指定されています。
奈良には、行基が設立した喜光寺(きこうじ)など、
行基にゆかりのある寺院がいくつかありますが、お墓は大阪にあります。
記事 風見 一統