※本日の全校朝礼(校長講話)は放送により行い、講話内容を記載した本日発行の「校長通信」を見ながら話を聞いてもらいました。
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今年はコロナ禍で開催できませんが、1年に1回、中学校時代の仲間と同窓会を開いています。同期7クラス約300名の卒業生のうち、例年70〜80人の仲間が集まります。そんな私たちが中学校生活を送った1970年代半ばは、いわゆる「学校が荒れた時代」でした。
中でも私の通っていた中学校は、多分皆さんには想像もつかないほど荒れに荒れていました。その荒れ方たるや、まるで漫画の世界のようでした。
「漫画」といえば、今「皆さんには想像もつかない」と言いましたが、一つだけ想像のヒントを与えましょう。TVドラマや映画化もされた、中高生に人気の漫画『今日から俺は!!』に出てくるツッパリ君を思い浮かべてください。彼らと外見上は同じ生徒が、各クラスに5〜6名ずつ、つまり学年に40人いる学校だったと言えば、なんとなく分かりますか。
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そんな学校でしたから、同窓会で集まると元ツッパリ君の誰からともなく「俺らもあの頃は、ずいぶんヤンチャしたよな」という話になります。そして、それを皮切りに、自分が過去に行った不良行為や、喧嘩の武勇伝が語られ始めるのです。
同窓会は楽しいのですが、その手の話が始まると、私は辟易しながら聞き役に回ります。ただ、どうしても黙っていられず、ついその場をシラけさせることを口にしてしまうことがあります。それは、過去は過去でも「いじめ」の過去を、きれいに上書きするようなことを言われたときです。
例えば「ツッパリの中のツッパリ」で知られた同級生が「俺もたくさん喧嘩したけど、自分より弱いやつは相手にしなかった」とか「弱い者いじめはしなかった」といったことを話したときがありました。それを聞いた瞬間、私は思わず突っ込んでしまったのです。
「お前、そんなにカッコ良かったっけ?」
その場の空気が一瞬凍りついたことは、言うまでもありません。
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そうしたツッパリ君たちとは「つかず離れず」の立ち位置にいた当時の私は、時折彼らが「いじめ」をしている光景を目にしました。彼らはそれをからかいや冷やかし、今でいう「いじり」のつもりでやっていたのかもしれませんが、私からみればその行為は明らかに「いじめ」でした。
ただし、それを黙って見ていた(あるいは、見て見ないふりをしていた)私も、いじめられていた人にとっては加害者の一人だったに違いありません。私は、今もそのことを後ろめたく思っています。そのため、ある年の同窓会で再会したとき、実に40年以上の時を経て「あの時は、ごめん」と頭を下げた人もいます。
元ツッパリ君たちが、いい歳して過去の武勇伝をどれだけ大げさに吹聴しようと、私は一向に構いません。しかし、「いじめ」という卑劣で汚い行為をきれいに上書きすることだけは、たとえお酒の席であろうと、たとえ何歳になろうと許せないのです。
「お前、そんなにカッコ良かったっけ?」という冷ややかな皮肉も、そうした思いを込めて言いました。とはいえ、それはけっして私の正義感から発せられたわけではありません。
かつて「いじめ」と思われても仕方ない行動しかとれなかった自分が、かつて「いじめ」の被害者だった人たちにできる、それはせめてもの「償い」なのです。
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もし今、誰かからいじめられている人がいたら、すぐ先生方に助けを求めてください。SOSの出し方は、アンケートでも手紙でもメモでも構いません。先生方は、全力であなたを守りますから。
もし今、「いじめ」を傍観している人がいたら、すぐやめさせてください。自分で注意する勇気がなければ、先生方の力を借りてください。それもまた、立派な勇気ですから。
そして、もし今、誰かをいじめている人がいたら…。 これ以上カッコ悪く、ジェントルマンと正反対の自分にならないでください。あなたの行為は、何十年たとうと、絶対に上書きできませんから。