今年の9年生の書き初めに『志を遂げる』というお題がありました。そこで、今日はその【志】について話をさせてください。
では、早速ですが、皆さんの語彙力を高める新年最初のKMT(校長ミーニング・タイム)です。【志】の意味として、教室に置いてある国語辞典にはこう書いてあります。『心の中にもっている目標や信念』
その【志】と似ている言葉に【夢】がありますが、こちらはどんな意味でしょうか。これも教室の国語辞典では【夢】について、次のように説明しています。『簡単には実現しそうにない大きなのぞみ・希望』
以下、似て非なる両者の違いについて、私の個人的見解を述べさせてください。
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【志】と【夢】 いずれも「いつかこうなりたい・こうしたい」という未来の願望を表す点では同じです。しかし、例えば「宝くじで1等が当たることを夢みる」という言い方はしますが、「1等が当たることを志す」とは言いません。
また、「私の夢は、お姫様になることです」と言う幼児がいたとしても、「私の志は、お姫様になることです」という言い方をする幼児はいないでしょう。そこに【志】と【夢】の違いを考えるヒントがあるように思います。
宝くじの当たり外れは偶然であり、自分の意志は関与していません。また、幼児は、お姫様への漠然としたあこがれを口にしただけであって、具体的な将来設計があるわけではありません。
つまり、願望は、そこに強い意志と具体性が伴って、初めて【志】になると、私は思うのです。さらにその願望には、欠かせないもう1つの要素があります。
『Boys, be ambitious.』(ボーイズ・ビィ・アンビシャス=少年よ、大志を抱け)という言葉を、聞いたことがあるでしょう。本校のたった1つの校則『Be Gentleman.』(紳士であれ)とも深く関わるクラーク博士が残した言葉です。(この場合の『少年』も『紳士』と同じで、男女に関係なく『若者』と解釈してください)
「大志」は「大きな志」と書きます。そして、真偽のほどはわかりませんが、この言葉には次のような続きがあるそうです。
『少年よ、大志を抱け。ただし、それは富や財産、名誉など、自分の欲望だけを追求するものであってはならない』
どうでしょう? 大きな志を抱くことは大切である。しかし、「自分は、こうなりたい」「自分は、これがほしい」という願望(我欲)だけを追い求めることは、【志】ではない、というのです。
また、これもあくまで私見ですが、この【志】という文字を分解すると【士(サムライ)の心】となります。では、「サムライの心」とは何か、サムライとはどういう人だったかを考えてみてください。
それが良いか悪いかは別として、私はサムライとは、大切な人(特に主君など)のためなら、時に命を投げ出すほどの自己犠牲さえ厭わない人だったと考えています。
さすがに自己犠牲と言わないまでも、努めて我欲を減らし、そのぶん人の幸福を願おうとする心こそが「サムライの心」=【志】ではないかと、私は思います。
実をいうと、先の国語辞典には【志】の意味がもう1つ、次のように併記されているのです。 『人に対する厚意』
そこで、さらに同じ辞書で【厚意】を調べると、こうありました。 『やさしい思いやりの心』
【夢】をもつことは素晴らしいことです。だから、皆さんには【夢】のある人であってほしいと思います。同時に、いつか「世のため人のため」という厚意も抱ける人、つまり【志】ある人にも、なってもらいたいと思います。