ちょうど1週間前の道徳の時間、9年生は【法やきまりの意義】をテーマに授業を行っていました。使用していた資料は、教科書に掲載されている『二通の手紙』という読み物です。あらすじを簡単に説明しましょう。
★ ★ ★ ★ ★
ある動物園に、幼い姉弟がやってきました。すでに入園時間は過ぎていたし、子どもは保護者同伴でなければ入れないという規則もあります。しかし、お姉ちゃんは今日が誕生日だという弟のために、弟の見たがっていた動物園を訪れたのでした。
入園係は、規則違反を承知で2人を入園させることにしました。ところが、その後閉園時間になっても2人は戻ってきません。ちょっとした騒ぎになりましたが、約1時間後、園内で遊んでいた2人は無事発見されました。
※ 続きは、下の『おりたたみ記事』をクリックしてください。
後日、姉弟の母親から、入園係に手紙が届きます。そこには、家庭の事情で親が動物園に連れて行ってあげられなかったこと、姉は自分の貯めたお小遣いで弟を動物園に連れて行ってあげたこと、あの日子どもたちは久しぶりに大はしゃぎだったことなど、お礼とお詫びが綴られていました。
その直後、入園係は上司から呼び出され、別の手紙を受け取ります。それは園の規則を破ったことに対する「停職処分」を伝える通告書でした。入園係は自分のとった行動が軽はずみであったことを認め、それを機に辞職してしまうという話です。
授業では「法やきまり」について、活発な意見が交わされていました。その中には「『優しいこと・良いこと』と『法やきまりの上で正しいこと』は違う」「個人的な感情より『法やきまり』を優先させなければならない」といった意見もありました。
★ ★ ★ ★ ★
「法」といったら大げさですが、皆さんにとって一番身近な「きまり」は、校則かもしれません。その校則が今年度から【Be Gentleman(紳士であれ)】に一本化されたことにより、これまで以上に「きまり」について考える機会が増えたかと思います。
細かな校則の必要性を主張する上で「社会に出たら、様々な法律がある。自分の価値観に関係なく、それらを守るのは当たり前。その意識を身につけるためにも、様々な校則は必要なのだ」という論があります。事実、私が先の校則一本化を提案したとき、そうした論拠で反対した皆さんの先輩もいました。
私も、その論拠は否定しません。また、9年生の道徳の授業で出された意見にも、私は100%賛同します。ただ、私が皆さんに期待するのは、さらにその一歩先をいく姿勢なのです。
それは「その『法やきまり』が、合理的かどうか」と批判的に考える姿勢です。さらに言えば「その『法やきまり』に、正義はあるか」と問う姿勢です。ほとんどの「法やきまり」は、個人を尊重し人権を保障するためのものです。ただし、歴史上、全てがそうであったかといえば、残念ながら例外もあります。
戦時中に定められた『国家総動員法』という法律は、全てのヒトやモノを戦争のために使うことを認める法律でした。また、それに反対しようとすれば『治安維持法』という法律で厳しく罰せられました。
戦後にできた『優生保護法』という法律には、障害を持った方々が子孫を増やせないようにするため、強制的に手術することを認める条文がありました。この法律が撤廃されたのは、今からわずか4年前の2016年です。
「『法やきまり』を守ること」と「『法やきまり』を無条件に受け入れること」は違います。まず、その意義の理解に努め、その必要性を認識して初めて「法やきまり」に魂が宿るのです。たった一つの校則【Be Gentleman】にも、ぜひ皆さんの力で魂を宿してください。
改めて、今日の私の話は次号の『校長通信』に掲載します。それが「法やきまり」の意義について考える「3通目の手紙」になってくれるよう願っています。