本日の始業式では、下記の表彰(紹介)も行いました。
【都大会出場】
●吹奏楽部 都コンクールB組銀賞
●卓球部 岡野さん(区大会個人戦3位)
●ソフトテニス部 岡村さん&宮崎さん(区大会個人戦優勝)
また、生活指導主任の先生からは、2学期当面の学校生活(感染症対策)について話がありました。本日配付のプリント『感染症対策への協力のお願い』や各学年だよりも参照のうえ、ご家庭でもご確認ください。
※校長講話の内容は、下の『おりたたみ記事』をクリックしてください。
夏休みに入ってすぐ、気になるデータを目にしました。厚生労働省が発表した今年上半期(1月〜6月)における自殺者数の報道発表です。それによるとこの半年間の自殺者数は1万784人で、昨年の同時期と比べて13%(1206人)増えているとのことでした。
中でも特に私が気になったのは、若者や子どもの増加率が高いことです。別のデータ(文部科学省)によると、児童生徒の自殺の動機・原因は「進路の悩み」が最も多く「学業不振」「親子関係の不和」などが続いていました。
それらに加え、コロナ禍による生活様式の変化やストレスが重なったことも、影響しているのかもしれません。いずれにせよ、その一人一人に様々な事情があったのでしょう。ただ、それは百も承知の上で、私は次のことを、皆さんに強く訴えたいのです。
「たとえどんな事情があっても、自らの意思で死ぬことは、絶対にやめてください」
皆さんは【死ぬ】という言葉の対義語は、何だと思いますか? おそらく多くの人が【生きる】を思い浮かべたかと思います。もちろんそれも正解ですが、私は自殺問題に限定して考えたとき、対義語としてよりふさわしいのは【生まれる】ではないかと思っています。
なぜなら【死ぬ】は、命の終着点を表す言葉だからです。「線」ではなく「点」。したがって、それと対をなす言葉も「点」、つまり命の出発点を表す【生まれる】がふさわしいと思うのです。
一方【生きる】は、命の出発点と終着点をつなぐ「線」であり、「人生」という言葉に置き換えられるというのが、私の考えです。
命の出発点である【生まれる】に、自分の意思は働いていません。私たちは皆、「生まれるか、生まれないか」という意思決定をせずに生まれてきたのです。だとしたら、その対極にあって命の終着点を表す【死ぬ】にも、同じことが言えるのではないか。
自分の意思の及ばないところで出発した命は、その最期もやはり自分の意思を及ぼしてはいけない。少なくとも、まだ生きられる可能性のある限り、自分の意思で死を選択するなどということは、絶対にやってはいけないと、私は考えています。
逆に、命の出発点【生まれる】と、終着点【死ぬ】をつなぐ「人生」という名の線は、自分の意思でどのようにでも描けます。つまり、あなたがどう【生きる】かは、全てあなたが決めて良いのです。
今あなたに命があるのは、あなたのお父さんとお母さんに命があったからです。そのお父さんとお母さんの命があるためには、それぞれの両親、つまり、皆さんのお祖父さん・お祖母さんの命が必要でした。さらにお祖父さん・お祖母さんの命があるためには…と遡っていくと、どうなるでしょう。
書家で詩人の相田みつをさんは、7年生の道徳の教科書にも載っている『自分の番 いのちのバトン』という詩の中で、こんなふうに言っています。
★ ★ ★ ★ ★
父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人 こうしてかぞえてゆくと 十代前で 千二十四人 二十代前では…? なんと百万人を越すんです 過去無量の いのちのバトンを受けついで いまここに 自分の番を生きている それが あなたのいのちです それが わたしのいのちです
★ ★ ★ ★ ★
天文学的数字の命がバトンされて、あなたは生まれてきました。そんなあなたはまた、命のバトンを次の世代へと受け渡す存在でもあります。どうか、そのことを忘れないでください。そして、自分の命も、人の命も大切にしながら、「自分の番」を一生懸命に、自分らしく生きてください。