1年に1回、私は中学校時代の仲間と同窓会を開いています。同期7クラス約300名の卒業生のうち、例年70〜80人の仲間が集まります。
そんな私たちが中学校生活を送った1970年代半ばは、いわゆる「学校が荒れた時代」でした。中でも私の通っていた中学校は、多分皆さんには想像もつかないほど荒れに荒れていました。
とはいえ、あえて想像のヒントを与えるならば、漫画や実写版映画で人気を博した『東京卍リベンジャーズ』に出てくるツッパリ君を思い浮かべてください。彼らと外見上は同じような生徒が、各クラスに5〜6名ずつ、つまり学年に40人いる学校だったと言えば、なんとなく分かりますか。
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そんな学校でしたから、同窓会で集まると元ツッパリ君の誰からともなく「俺らもあの頃は、ずいぶんヤンチャしたよな」という話になります。そして、それを皮切りに、自分が過去に行った不良行為や、喧嘩の武勇伝が語られ始めるのです。
同窓会は楽しいのですが、その手の話が始まると、私は辟易しながら聞き役に回ります。ただ、どうしても黙っていられず、ついその場をシラけさせることを口にしてしまうことがあります。それは、過去は過去でも「いじめ」の過去を、きれいに上書きするようなことを言われたときです。
例えば「ツッパリの中のツッパリ」で知られた同級生が「俺もたくさん喧嘩したけど、自分より強いやつしか相手にしなかった」とか「弱い者いじめはしなかった」といったことを話したときがあります。それを聞いた瞬間、私は思わず突っ込んでしまいました。
「お前、そんなにカッコ良かったっけ?」
その場の空気が一瞬凍りついたことは、言うまでもありません。
そうしたツッパリ君たちとは「つかず離れず」の立ち位置にいた当時の私は、時折彼らが「いじめ」をしている光景を目にしました。彼らはそれをからかいや冷やかし、今でいう「いじり」のつもりでやっていたのでしょう。しかし、私から見ればその行為は明らかに「いじめ」でした。
ただし、それを黙って見ていた(見て見ないふりをしていた)私も、いじめられていた人にとっては加害者の一人だったに違いありません。私は、今もそのことを悔やんでいます。そのため、ある年の同窓会で再会したとき、実に半世紀近い時を経て「あの時は、ごめん」と頭を下げた人もいます。
元ツッパリ君たちが、いい歳して過去の武勇伝をどれだけ大げさに吹聴しようと、私は一向に構いません。しかし、「いじめ」という卑劣で汚い行為をきれいに上書きすることだけは、たとえお酒の席であろうと、たとえ何歳になろうと許せないのです。「お前、そんなにカッコ良かったっけ?」という冷ややかな皮肉も、そうした思いを込めて言いました。
とはいえ、それはけっして私の正義感から発せられたわけではありません。かつて「いじめ」と思われても仕方ない行動しかとれなかった自分が、かつて「いじめ」の被害者だった人たちに今だからできる、それはせめてもの「償い」なのです。
もし今、誰かからいじめられている人がいたら、すぐ先生方に助けを求めてください。SOSの出し方は、アンケートでも『ほうれんそうフォーム』でも手紙でもメモでも構いません。先生方は、全力であなたを守りますから。
もし今、「いじめ」を傍観している人がいたら、すぐやめさせてください。自分で注意する勇気がなければ、先生方の力を借りてください。それもまた、立派な勇気ですから。
そして、もし今、誰かをいじめている人がいたら…。これ以上カッコ悪く、ジェントルマンと正反対の自分にならないでください。あなたの卑劣で汚い行為は、たとえ何十年たとうと、絶対に上書きできませんから。