本日は、今週末に迫った運動会の話をさせてください。
『兎の眼』や『太陽の子』などの作品で知られる児童文学作家・灰谷健次郎さん(故人)が、大阪の小学校で教員をしていたときの話です。灰谷さんのクラスに、交通事故で片足を失い義足をつけていた少年がいたそうです。
運動会のとき灰谷さんは、本人の希望もあってその少年をみんなと同じ100m競走に出場させます。しかし、予想どおりスタートと同時に少年は、他の同級生から大きく後れました。
みんながゴールしても、たった一人で足を引きずりながら走り続ける義足の少年を見て、保護者席からはざわめきが起こり始めます。「かわいそうに…」「走らせなければいいのに…」
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そのとき、灰谷さんのクラスの子どもたちから、少年を励ます大声援が起きます。そして、声援を受けながら義足の少年は走り続け、他の同級生の何倍もの時間をかけてやっとゴールすることができたのだそうです。
クラスメイトはゴールした義足の少年を囲んで、口々に健闘をたたえました。中には「お前、偉いやん!」と、涙を流している子どももいたそうです。そんなクラスメイトに向かい、義足の少年は満面の笑顔でこう答えたといいます。「ビリでも、走らなあかんねん!」
「ビリでも、走らなあかんねん!」 つまり「たとえビリでも走らなければいけない」ということですが、少年は、なぜそう思ったのでしょう。
おそらく少年は、自分がビリになることはわかっていたはずです。それでも自らレースに出ることを希望し、最後まで走り、ゴール後にはクラスメイトの声援に笑顔で応えました。
これは私の想像ですが、少年にとっての100m競走は、順位という他者との戦いでなく、困難から逃げようとする自分、あるいは、途中で諦めようとする自分との戦いだったのではないでしょうか。
持てる力をふりしぼり、最後まで諦めず何かを成し遂げようとする人の姿は、順位や勝ち負けに関係なく輝きを放ちます。その輝きが、クラスメイトをはじめ見る者の同情を声援に変えたのだと思います。そして、少年自身も全力を尽くすことは楽しいと感じられたからこそ、そんな声援に笑顔で応えられたのだと思います。
さて、皆さんは、運動会に何を求めますか? 一般的には「より速く、より強く、より揃えて」を求める学校が多いようです。もちろん本校の運動会にも、そういう側面はあります。
しかし、8・9年生はわかっていると思いますが、それ以上に板三中では「多様性を認めて、より楽しく」を追求しています。英語でdiversity(ダイバーシティ)という多様性には「さまざまな違いや特性、個性」といった意味があります。
そのような運動会の特色は、男女・学年に関係なく全校生徒が一堂に会して踊る『組ダンス』、足の速い人が勝つとは限らない『チャレンジ走』、走ることが苦手な人でも楽しめる『チャレンジ投』などの運動会種目にも表れています。
さらに『組ダンス』のBGMで使う曲が、ケツメイシの『カラーバリエーション(色違い・さまざまな色)』だということも、多様性重視の象徴と言えます。
足が速くても遅くても、運動が得意でも苦手でも、それも多様性の1つであると認め、受け入れ、尊重する。そして、競技としての種目には勝利を目指しても、それ以上に皆で心を1つに全力を尽くすことを楽しむ…。これこそが、板三中運動会最大のめあてです。
奇しくも、今年の運動会のスローガンにはカラーバリエーション「五色の炎」という言葉が入っています。
先に挙げた、お互いの多様性を認め合い、義足の少年のように笑顔で楽しむというめあてを達成できたとき、当日はスローガンにある「五色の炎」が、眩い輝きを放つに違いありません。