運動会の前と後の朝礼、どちらで話そうかと迷った結果、運動会後の今日に回した話があります。運動会で全校生徒が共に取り組んだ『組ダンス』の由来に関する話です。
『組ダンス』は、それまで運動会で全学年男子が取り組んでいた『組体操』に替わる種目として、5年前に導入しました。その前年、私と保健体育科の岡本先生が本校に着任しています。
着任早々、私は校長の方針として、運動会の伝統種目とされていた『組体操』の種目変更を打ち出しました。実は、私は板三中以前に校長として勤務した3校の中学校で、『組体操』を廃止しています。
それは、少なくとも私の目にした『組体操』の練習には、共通して鳥肌の立つような光景があったからです。
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最近はこの「鳥肌が立つ」という慣用句を「感動する」というポジティブな意味で使うこともあるようです。しかし、その時の私は本来の意味、つまり「恐怖や寒気で皮膚が粟立つ」という意味で鳥肌が立っていました。
それは、『組体操』のクライマックスでつくることの多い「タワー」という演技に顕著でした。土台となる人の上に、立った状態の人が3〜4段も積み重なり、文字どおり「タワー(塔)」のような形態をつくる演技です。
当然その状態では、下の人ほど荷重がかかります。その重みに耐える表情は、苦痛に歪んでいました。また、タワーが崩れて上段から落下した激痛に、悶絶する人もいました。
まず私は、生徒をそのような危険や痛みにさらすことに、鳥肌が立ちました。そして、それ以上に鳥肌が立ったのは、タワーを指導する先生のこんな発破でした。
「そんなことで、見ている人が感動すると思っているのか!」
当時の板三中に、そんな先生がいたわけではありません。それどころか、長年続いていた『組体操』を廃止し、岡本先生を中心に『組ダンス』をゼロから創り上げてくださったのです。そして、当初男子の種目として導入した『組ダンス』は、2年後には男女・学年に関係なく全ての板三中生が参加する全校種目にまでなりました。
そんな『組ダンス』と『組体操』を比較し、優劣を論じるつもりはありません。ただ、その転換期に立ち会った者として「感動って、何だろう」と思うことがあります。
以前勤務した複数の学校で聞いた「そんなことで、見ている人が感動すると思っているのか!」という先生の発破は、見ている人を感動させることを目的化した言葉です。
もちろん、苦痛や逆境に耐えながら何かを成し遂げた人の姿が、見る者を感動させることはあります。ただし、人は誰かを感動させるために、苦痛や逆境に耐えるのではありません。
3年ぶりの全校開催運動会が終わった今だから、言えることがあります。私は、やはり3年ぶりに見た皆さんの『組ダンス』に感動しました。全校生徒が、学年や男女、運動の得意・不得意に関係なく楽しそうに踊っている姿に、今度はポジティブな意味で鳥肌が立ったのです。ただし、皆さんは私を感動させようと思って、そうしたわけではないでしょう。
皆さんは、踊ることを楽しんだだけです。とはいえ、ただ楽しんだだけではありません。最高のパフォーマンスを見せるために、本気で取り組みました。それは、けっして「楽」ではなかったはずです。「楽」でなかったからこそ、それを本気で楽しむ皆さんの姿が、私の心を動かしたのです。
どうか皆さん、覚えておいてください。運動であれ勉強であれ、本気で取り組んでいると、少しずつできることが増えてきます。できることが増えれば、そのぶん楽しくなります。
そして、この私がそうであったように、本気で取り組み、本気で楽しんでいる人に心を動かされると、その人を本気で応援したくなるのです。
これからも私は、本気の皆さんを、本気で応援していきます。