さる5月15は、戦後27年間にわたりアメリカの統治下にあった沖縄が、正式に日本に返還されてから、50年目の節目の日でした。
そんな沖縄を舞台にしたTVドラマ『ちむどんどん』が、現在NHKで放映されています。その『ちむどんどん』にも出てくる、私の好きな沖縄の方言があります。もしかしたら知っている人もいるかもしれませんが、【なんくるないさ】という方言で「なんとかなるさ」という意味で使われます。
沖縄の方々には、物事を明るく楽観的に考える、おおらかな県民性があると言われます。それを象徴するような言葉で、困難に直面したときなど心の中でつぶやくと、不思議と元気の出る方言です。
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ただし、私はこの【なんくるないさ】(なんとかなるさ)という言葉は、どういう人間が、どんな場面で使うかによって、言葉の重みというか、意味が全く違ってくると思っています。
初めから「なんとかなるさ」と考えるのではなく、まず自分にできることをとことんやる、つまり、ぎりぎりまで自分の力で「なんとかしよう」としてきた人が、最後の最後に使う「なんとかなるさ」には、説得力があります。
それに対し、それまで怠けていただけの人が、最後に神頼みで使う「なんとかなるさ」や、実は何の見通しも立っていないくせに自分を慰めるために使う「なんとかなるさ」には、むなしい響きしかありません。
事実【なんくるないさ】には前半が省略されていて、正確には【まくとぅそーけー、なんくるないさ】という方言であることを、私も最近になって初めて知りました。2つあわせて「真面目にやるべきことをやっておけば、あとはなんとかなるさ」という意味になるのだそうです。
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では、ここで皆さんの語彙力を高めるKMT(校長ミーニングタイム)です。
【人事を尽くして天命を待つ】という諺があります。「自分にできる最大限の努力をしたら、結果は神様に任せる」といったような意味です。私は、本来「なんとかなるさ」という言葉は、そのように達観した(広い視野で物事を見て、細かいことに動じない)心境を表す言葉だと思います。
本日は、もう1つKMTとして【窮鼠猫を噛む】(きゅうそねこをかむ)という諺を紹介します。窮鼠(追い詰められたネズミ)が、猫に噛みつく…つまり、窮地に陥った弱者が、開き直って逆襲に転じるという意味です。
ただし、この場合、ネズミを突き動かしたものは勇気ではありません。「開き直る」「逆襲」と言えばかっこよく聞こえますが、どうにもならない状況に追い詰められたからヤケになって噛みついただけで、他にとるべき手立てがなくなれば誰でもそうします。
ネズミに「なんとかなるさ」などという楽観的観測は、微塵もありません。その行動は、「なんとかならない」現実を突きつけられ、「だったら、どうにでもなれ」という絶望感から発せられた窮余の策(追い詰められ、苦し紛れにとる手段)に過ぎないのです。
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さて、今年度最初の定期考査である1学期中間考査が終わりました。それを機に、この2ヶ月間の自分の「学びに向かう態度」を振り返ってください。
勉強を怠ける言い訳として、「なんとかなるさ」を使ってきた人はいないでしょうか? いつか窮地に追い込まれる予感はあっても、その不安や焦りを「なんとかなるさ」でごまかしていた人はいないでしょうか?
そして、そうした言い訳やごまかしが通用しないことを、先日の中間考査で思い知った人はいないでしょうか? そういう人は、せめてそれが高校入試でなくて良かったと思ってください。
問題を解き直すことだけが「定期考査の振り返り」ではありません。むしろ自分の「学びに向かう態度」を反省・改善することこそが、次(期末考査や、さらにその先の高校入試)に繋がる大切な振り返りなのです。