実は私が校長になったとき、激励会を開いてくれたかつての上司(後に東京都副知事まで務めた方で、教育関係者ではありません)に、こう言われたことがあります。「あなたは、KY2乗のままでいてください」
【KY】どころか【KY×KY=KY²】? 私って、どれだけ空気が読めないの…? しかし、そう言っていた元上司の目が温かく笑っていたことで、私はそれをポジティブな評価と解釈しました。
「空気が読めない」ということを「協調性がない」「デリカシー(配慮)に欠ける」と解釈すれば、それは批判されても仕方ないでしょう。社会生活を営む上では「空気を読む」ことも、必要な処世術の1つと言えます。一方で「空気を読みすぎる」のも、良いことだとは思えません。それは「周囲に迎合しているだけ(調子をあわせているだけ)」「人の顔色をうかがっているだけ」ということでもあり、場合によっては「主体性がない」ことにもつながるからです。
「周りに流されず、自分で自分のとるべき行動を決め、その結果に責任をもつ」つまり「主体性をもつ」ためには、あえて「空気を読まない」ことも大切だと考えます。だから、私はかつての上司から【KY²(KY2乗)】と評された時も、それを「校長として主体性をもて」という叱咤激励と解釈したのです。
話を元に戻しましょう。
イチローさんがMLBに挑戦する前、日本人メジャーリーガーとして成功を収めたのは、野茂英雄さんや佐々木主浩さんなど全員が投手でした。そのため、当時多くの評論家は「投手は変化球で勝負できるので日本人でも通用するが、力勝負が求められる打者では成功しない」といった論調だったのです。しかし、それを覆すその後のイチローさんの活躍は、MLBの殿堂入りが証明しています。
大谷選手が、いわゆる二刀流(投手と打者)でMLBへの挑戦を宣言した時も、批判はしないまでも「どちらも中途半端になる」という声が圧倒的でした。今、それを声高に主張する人はいません。
そんなお2人に私が見る共通点「偉大なる【KY】」とは、自分の挑戦に否定的な空気に流されず、信念を貫き空気を変えた【KY】、つまり「空気など読まなかった」という点なのです。
繰り返しますが、社会生活を営む上では「空気を読む」ことも必要です。ただし、間違った空気に同調したり、自分の信念に反する空気に迎合したりしてはいけません。協調性も大事にしつつ、主体性はさらに大事にしてください。
例えば、新しい学年に進級したあなたが、新しい何かに挑戦しようとしたとします。そしてその時、あなたの挑戦を嘲笑ったり、無理だからやめておけと揶揄したり(からかったり)する空気があったとします。そんな空気を、読む必要はありません。それどころか、あなたは【KY×KY=KY2(KY2乗)】を貫いてください。
この場合の【KY²(KY2乗)】の意味です。【KY=空気なんか読むな、KY=変えてやれ】