2週間前の日曜日、日本中を感動のニュースが駆け巡りました。競泳女子の池江璃花子選手が、日本選手権の100mバタフライで優勝し、東京オリンピックのリレー代表に内定したというニュースです。
現在二十歳の池江選手は、中学生の頃から女子競泳界のエースとして期待されていました。しかし、2年前の2月に「血液のがん」とも呼ばれる白血病と診断されます。そして、約10カ月に及ぶ入院生活を経て12月に退院、昨年8月にレースに復帰したばかりでした。
そんな池江選手が、レース後のインタビューで涙ながらに語られたコメントに、私は感動し聞き入りました。ただ、そのコメントの中で【すごく辛くてしんどくても、努力は必ず報われる】という池江選手の努力観を聞いたときだけは、感動しつつも意識が池江選手以外の人に向きました。
それは、池江選手に敗れ、代表に選ばれなかった2位以下の選手たちです。
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2位以下になった選手たちも、こと水泳に関しては、池江選手と同じように努力してきたはずです。それどころか、病気から復活したばかりの選手には負けられないプレッシャーの中で、池江選手とはまた違った意味で「すごく辛くてしんどい」努力を重ねていたに違いありません。
にもかかわらず、結果的に負けた以上彼女たちは、勝者である池江選手と違い努力が報われなかった、無駄な努力をしてきたことになるのでしょうか?
同じように努力を重ねても、結果は勝者と敗者、成功と失敗に分かれてしまう…。それは、スポーツの世界に限ったことではありません。
事実、私自身も部活動や受験、就活、昇任選考などで「あれほど努力したのに、なぜ…?」という悔しさを、今まで何度も味わってきました。そして、その都度落ち込んだことは事実です。
しかし、だからといって私は、「無駄な努力をした」などとは思っていません。それは、私が「努力」というものをどう捉えているか、つまり、私の努力観と関係があります。
【努力した者が、必ず成功するとは限らない。ただし、成功した者は皆、必ず努力していた】
これが、私の努力観です。
先ほども言ったように私は、努力が必ずしも成功に結びつかないことを何回も経験しています。一方で、努力さえすれば成功のチャンスは等しく与えられるということも、幾度となく経験してきました。
私の人生における数少ない成功は、それさえ努力を怠っていたら、けっして得ることはできなかったでしょう。
さらに言えば、最終的に成功という結果に至らなくても、努力の過程には必ず成就感や達成感を感じる瞬間がありました。それがあったからこそ、「もう1回頑張ってみよう」「別の道に挑戦してみよう」というモチベーション(意欲)も湧いたのです。
また、成功できなかったことで味わった挫折感や敗北感が、その後の人生で教訓として役立ったこともあります。そんな経験から私は、次のもう1つの努力観も持つようになりました。
【無駄な努力など、ない】
日本選手権で表彰台の一番高い所に立つ池江選手の笑顔は、とても輝いていました。一方、その池江選手に敗れた2位・3位の選手の笑顔も、表彰台の高さに関係なく爽やかでした。
そんな3人の素敵な笑顔は、池江選手の努力観はもちろん私の努力観も、体現してくれているように感じました。
教室や廊下に掲示された新年度の皆さんの目標には「努力」や「頑張る」という言葉が多く見られます。ただ、それが勉強であれスポーツであれ、これから先もしかしたら「努力」や「頑張る」という行為自体を「辛くてしんどい」と感じる時がくるかもしれません。
そんな時はぜひ、今日話した3つの努力観を思い出してください。