毎年11月3日の「文化の日」を中心にした2週間は、『読書週間』です。そこで今日は、私が皆さんと同世代の頃、つまり小中学生時代に読んだ2つの小説に関する話をさせてください。
まず、小学6年生の時に読んだ『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)から、主人公のジョバンニが、銀河鉄道に乗り込んだ場面を紹介します。
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【するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションという声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくしておいた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまいました。】
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非常に長い1文で、本来は3〜4文に分けた方が適切かもしれません。しかし、句切りがないため、逆に一連の流れとして私の頭の中には、すっと入ってきました。だからでしょうか、その描写から想像できる幻想的な美しさに、一読して私は心を奪われたのです。
ただし、当時私は宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』を通して伝えたかったこと、つまり主題がさっぱりわかりませんでした。その後『銀河鉄道999』というアニメや主題歌が流行ったのを機に、高校時代にも読み直しました。
それでも主題はわからず、もしかしたら賢治はこういうことを伝えたかったのではないかと、自分なりの解を導き出せたのは、大学生になって再び読んだ後でした(それについては、時間の関係上ここでは触れません)。
中学生時代に読んだ小説で紹介したいのは、川端康成の『伊豆の踊子』の一節です。
伊豆で一人旅をしていた学生の【私】が、旅芸人一座と一緒になり道中を共にします。そして、一座の踊子の少女に恋をし、旅の終わりとともに別れるまでを描いた小説です。
次の一節は、その最後の場面、港で少女と別れた後、東京行きの船の大部屋で寝転がった学生の描写です。
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【私はカバンを枕にして横たわった。頭が空っぽで時間というものを感じなかった。涙がぽろぽろカバンに流れた。頬が冷たいのでカバンを裏返しにしたほどだった。《 中 略 》 私は涙を出委せにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。】
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淡くせつない恋の終わりが描かれた一節です。ただ、これもまた当時の私には、わからないことがありました。学生は、人との別れにここまで泣いておきながら、なぜその直後の感覚が【甘い快さ】だったのでしょう? 皆さんは、どう思いますか?
その「なぜ?」に自分なりの答えを出せたのは、私が教員になってからでした。具体的には、中学3年生の担任として、卒業生を送り出した時のことです。まだ若かったこともあり、私は教え子との別れに涙が止まりませんでした。
しかし、その涙が出尽くした時、急に心地よい脱力感に襲われたのです。そのとき、ふと、この感覚こそが『伊豆の踊子』で描かれた【甘い快さ】なのではないかと、なんとなく実感できました。
読書には、読んですぐに感動したり知識を得たりする即効性(すぐに効果や結果が現れること)がある一方、私が体験したような遅効性(時間がたって効果や結果が現れること)もあると思っています。
言い方を変えれば、読書には「いつかわかる面白さ」や「何回か読んで初めてわかる面白さ」もあるのです。今日は、そんな読書の効能も知っておいてほしくて、とりとめのない話を聞いてもらいました。