春休み中に行われていた選抜高校野球大会(春の甲子園大会)は、群馬県代表の高崎健康福祉大学高崎高校(健大高崎)が優勝して幕を下ろしました。学校としてはもちろん、群馬県勢としても初の春の大会優勝だったそうです。
では、少し範囲を広げて関東地方に初めて春の大会優勝旗をもたらしたのは、いつ、どの高校だったのでしょうか。それは、今から67年前の1957年(昭和32)、東京都代表の早稲田実業高校です。
そして、その時にエースピッチャーとして活躍したのが、後に打者として世界記録868本のホームランを打つことになる「世界の王」こと王貞治さん(当時は読売ジャイアンツ・現ソフトバンクホークス会長)です。
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同時代に活躍した長嶋茂雄さん(現巨人軍終身名誉監督)とは「ON砲」と称され、両人ともジャイアンツだけでなく日本プロ野球界のレジェンドです。
ただ、同じように活躍し人気のあった2人のうち長嶋さんが「天才」と呼ばれたのに対し、王さんは「努力の人」と呼ばれました。そんな王さんは、努力に関して次のような言葉を残されています。
【努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない】
ホームラン数世界記録まで打ち立てた「努力の人」の言葉ですから、これほど厳しく説得力のある言葉はないでしょう。そこに私のような凡人が異論を挟む余地など、全くありません。ただ、それは百も承知の上で、あえて凡人の努力観も話したいと思います。
スポーツの世界では、同じように努力を重ねても、結果は勝者と敗者、成功と失敗に分かれてしまいます。そして、それはスポーツに限ったことではありません。
事実、私自身も部活動や受験、就活、昇任選考などで「あれほど努力したのに、なぜ…?」という悔しさを、今まで何度も味わってきました。そして、その都度落ち込んだことは事実です。
しかし、だからといって私は、当時の自分を「努力と呼べるレベルではなかった」とか「無駄な努力をした」などとは思っていません。それは、私が「努力」というものをどう捉えているか、つまり、私の努力観と関係があります。
【努力した者が、必ず成功するとは限らない。ただし、成功した者は皆、必ず努力していた】
これが、私の努力観です。
先ほども言ったように私は、努力が必ずしも成功に結びつかないことを何回も経験しています。一方で、努力さえすれば成功のチャンスは等しく与えられるということも、幾度となく経験してきました。私の人生における数少ない成功は、それさえ努力を怠っていたら、けっして得ることはできなかったでしょう。
さらに言えば、最終的に成功という結果に至らなくても、努力の過程には必ず成就感や達成感を感じる瞬間がありました。それがあったからこそ、「もう1回頑張ってみよう」「別の道に挑戦してみよう」というモチベーション(意欲)も湧いたのです。
また、成功できなかったことで味わった挫折感や敗北感が、その後の人生で教訓として役立ったこともあります。そんな経験から私は、次のもう1つの努力観も持つようになりました。
【無駄な努力など、ない】
新年度に皆さんが立てた目標には「努力する」とか「頑張る」といった言葉が多く見られました。ただし「努力する」ことも「頑張る」ことも、それを続ければ続けるほど「辛い」「しんどい」と感じる時があるかもしれません。
そんな時はぜひ、今日紹介した「世界の王」の至言と、凡人の私が実体験に基づいて抱くに至った2つの努力観を思い出してくれたら幸いです。