何かが終わるということは、その何かに始まりがあったということです。「始まりがあったからこそ、終わりがある」 きわめて当たり前のことですが、時に私たちは終わりに注目する一方で、始まりに対する関心は低いことがあります。
今週の金曜日12月8日、皆さんは82年前のその日、何が始まったかを知っているでしょうか? 1941年(昭和16)12月8日、後に日本人だけで約310万人の犠牲者を出したといわれる太平洋戦争が始まったのです。
その戦争が終わったのは、一般的には4年後の1945年8月15日です。こちらはマスコミ各社が「終戦記念日」「終戦の日」といった名称で報道するので、きっと多くの人が知っていることでしょう。
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たとえ実体験はなくても、誰もが「戦争は、恐ろしい」と思っているはずです。では、改めて考えてください。戦争の真の恐ろしさとは、何でしょうか?
私は、戦争を繰り返さないためには、戦争が真に恐ろしい理由を知る必要があり、それを知るためには「戦争の終わり」だけでなく「始まり」にも関心をもたなければならないと思っています。
だからといって私は、今ここで太平洋戦争の原因となった当時の世界情勢や、日本の抱えていた外交上の問題、欧米諸国との関係を説明するつもりはありません。それらの概略は、歴史の授業で学んでください。
私が皆さんに知ってもらいたい「戦争の始まりと終わり」。それは、ルネサンス期のイタリアの政治家・マキャベリという人が残した次の言葉に集約されています。
【戦争は『しよう』と思ったときに始まる。しかし、『終わってほしい』と思ったときには終わらない】
82年前の12月8日、日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ軍基地を攻撃し、甚大な被害を与えました(写真)。そして、その報を聞いた多くの日本人が喜びに沸き、万歳三唱したり、祝賀パレードを行ったりしました。まさに、多くの日本人が「しよう」と思ったときに、戦争は始まったのです。
しかし、その戦争の始まりは、いつか自分が、あるいは愛する家族が、死の危険と隣り合わせの戦場に行くかもしれないということを意味していました。いえ、それだけではありません。
先ほど、犠牲者の数は日本人だけで約310万人と言いましたが、戦争が奪ったのは戦場にいる兵士の命だけではありません。その中には、子どもも含む民間人が約80万人以上も含まれているのです。
おそらく戦争の始まりに歓喜した人々も、やがて悲しみと恐怖、飢えや痛みとともに、その終わりを願うようになっていたに違いありません。しかし、『終わってほしい』と思ったときに、戦争は終わりませんでした。
戦争の真の恐ろしさとは何か?
私は、たくさんあるその答えの一つに、「人間によって始められた戦争が、いつか自ら意思をもったかのように暴走し始めるから。暴走した戦争は、始めた人間でさえ制御できなくなり、長期化、深刻化し、泥沼化してしまうから。そして、最後は多くの犠牲者を出すことでしか、終わらせられなくなってしまうから」という理由があるように思えてなりません。
【戦争は『しよう』と思ったときに始まる。しかし、『終わってほしい』と思ったときには終わらない】
戦争は、人間の意思によって始まり、人間の意思と関係なく取り返しのつかない事態をもって終わるということ。それが「戦争の始まりと終わりの法則」であり、戦争の真の恐ろしさでもあるのです。