夏休み中、5歳と3歳の孫に付き合って、よく昆虫採集をしました。と言っても、場所は主に近所の公園でしたから、最も多く捕まえたのはセミでした。
そのせいか、特に5歳の孫は捕まえたセミを虫眼鏡で観察したり、昆虫図鑑で世界中のセミを調べたりと、すっかり「セミ博士」になりました。そんな孫の「自由研究」に付き合っていると、おじいちゃんの私にも改めて気づかされたことがあります。
よく「セミの一生は短い」という言い方をしますが、果たして本当にそうなのでしょうか? 例えば、この夏皆さんも鳴き声を耳にしたであろうミンミンゼミやアブラゼミなどは、幼虫として地中で5〜6年を過ごします。
そして、地上に出てから2〜3週間を成虫の姿で生きるわけですが、この「2〜3週間」という期間が「セミの一生は短い」という見方につながったと思われます。しかし、幼虫期を含めて5〜6年間も生きるというのは、昆虫の寿命としては「短い」どころか超長寿の部類に入るのです。
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セミが地中に隠れている、つまり、目に見えない期間を考慮せず、その姿を目にし鳴き声を耳にした期間をもって「短い一生」と決めつけてしまう…。私が改めて気づかされたのは、それと同じようなことを、私たちはセミだけでなくヒトに対してもやっていないかということでした。
人には、様々な側面があります。わかりやすい例を挙げればこの私(武田幸雄)にだって、「校長」という側面もあれば「じいじ」という側面もあります。おそらくその両者は、一致しないはずです。
また、同じ「校長」という側面でも、生徒である皆さんが「校長先生」として見る側面と、先生方が「職場の管理職」として見る側面とでは、微妙に見え方が異なるでしょう。その他「夫」「父親」「友達」「地域住民」など、様々な側面を包括して、はじめて私は「武田幸雄」なのです。
このように、その人がもつ様々な側面や性質・性格のことを多面性といいます。よく私たちは「明るい」「怒りっぽい」「おとなしい」「優しい」等々、とりあえず目に留まった側面で人を評することがあります。
それが悪いとは言いませんが、その一側面をもって「あの人は○○だ」と決めつけてしまうのは、避けたほうがよいでしょう。
まして「あの人は○○だから、嫌いだ(苦手だ・ムカつく)」といったネガティブな感情に縛られてしまうのは、相手にとっても自分にとってもマイナスです。そう決めつけられた相手が傷つくことはもちろん、自分自身も視野を狭め、出会いや発見のチャンスを逸してしまうことになるからです。
人には、多面性があります。その多面性を理解するには、様々な角度や視点で人を見なければなりません。そういう見方を「多角的な見方」といいます。
つまり、人には多面性あるが故に、多角的な見方が必要なのです。自分に見えた一側面が、その人の全てではありません。また、同じ人を別の誰かが見た時、自分とは全く違う印象を抱くこともあります。
自分が「あの人は短気だ(から嫌いだ)」とネガティブに思っている人のことを、別の誰かは「熱い心を持っている(から好きだ)」とポジティブに見ているかもしれません。
同様に「暗い」と思っている人を「落ち着きがある」、「わがままだ」と思っている人を「自己主張できる」、「神経質だ」と思っている人を「細かい点に気がつく」と見る見方もあるのです。
「第一印象」という言葉がありますが、私たちは最初に抱いた印象や、目に留まった側面にとらわれがちです。だからこそ私たちは、特にネガティブに「あの人は○○だ」と決めつけそうになった時ほど、別の見方・視点を意識しなければならないのだと思います。