さて、9年生の皆さん。
私はこうした儀式的行事や全校朝礼は、自分が教え子にできる授業だと思って講話を考えてきました。ただし、私の授業の目的は、他の先生方と違い「何かをわかってもらうこと」ではなく、「何かを考えてもらうこと」にありました。
私は今日、この最後の授業で、皆さんに一番伝えたかったことを話します。それを聞いて皆さんは、わかったことなど何1つなくても構いません。話をもとに、何かを考えてください。
では、授業を始めます。
先週の水曜日3月11日は、東日本大震災が発生して15年の節目の日でした。15年前。まさに皆さんが生まれた年です。2011(平成23)年3月11日14時46分、宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。
そして、最大震度7の揺れを観測した東北地方を中心に、大津波や大規模火災による甚大な被害をもたらしたのです。皆さんにその記憶はないまでも、記録映像は何回か見たことがあるかと思います。
さて、今から右側の壁に映し出す画像を見てください。大変見えづらくて申し訳ないのですが、式後に配付される校長通信に同じものを印刷しておいたので、後ほど改めて見てください。この画像は、15年前の3月24日、東日本大震災が発生して13日後に発行された読売新聞の紙面を、縮小コピーしたものです。
細かい字は当然見えないでしょうが、見出しから推察できるかと思います。この紙面に掲載されているのは「震災によって亡くなられた方々」のお名前です。正確に言うと、震災によって亡くなられた方々のうち、新聞発行日の前日、つまり、3月23日に身元が確認できた方々のお名前です。なぜ、私が15年前にこの紙面をコピーして取っておいたかは、後ほどわかります。
私の数え間違いがなければ、この紙面には775人の方が載っています。もちろん、その後も身元の確認できた方の数は増え続け、しばらくの間は連日こうした紙面が新聞に掲載され続けました。
では、皆さんに質問です。この紙面に掲載された方々を含め、東日本大震災で亡くなった方は何人いらっしゃると思いますか?
1.約1万人 2.約1万5000人 3.約2万人
正解は、2番です。警察庁の発表では、昨年3月時点で身元の確認できている犠牲者の数は、1万5900人です。ただし、同日現在の行方不明者数2520人を足すと1万8420人、さらに避難所で体調を崩されるなどして亡くなった、いわゆる災害関連死の方3808人も加えると2万2228人となるので、実は3番が正解に近いのかもしれません。
東日本大震災の被害を報じる際の伝え方として、時折「約1万6000人が亡くなった」とか「死者・行方不明者あわせて2万人近い方が犠牲になった」といった表現を耳にすることがあります。しかし、私は亡くなった方々を「約」とか「およそ」とか「ほぼ」とかいった大まかなくくり方で表すことには、違和感を覚えます。
まず目を向けるべきは、その一人ひとりに家族や友人など人と人とのつながりがあったということ、そして、震災さえなければ、今も続いていたであろうそれぞれの人生があったということです。今日、15年前の新聞紙面を用意したのも、そこに目を向けてもらいたかったからです。
あとで時間のあるときに、ルーペでも使って校長通信を見てください。一人ひとりに名前があります。生活していた場所が書かれています。あの日、あの時まで生きてきた人生の長さ、つまり、年齢も記されています。
枠内6段目・右側には、100歳を越えている方がいらっしゃいます。明治生まれのこの方には、いったい何人の子どもがいて、何人の孫がいて、何人のひ孫、あるいは玄孫がいたのかと考えます。
枠内1段目・左端には、0歳の赤ちゃんがいます。この子は、この世に生のあったわずかな時間に、お父さんやお母さんからどれだけの愛情を注がれ、逆にその笑顔や笑い声、寝顔で、お父さんやお母さんにどれだけの幸せを与えたのかを思います。
13歳、14歳、15歳…。まさに皆さんと同じ、中学生時代を生きていた人たちの名前があります。皆さんがそうであるように、その一人ひとりに家族があり、友達があり、毎日毎日繰り返される学校生活があり、悩みがあり、不安があり、将来の夢があり、無限の可能性があったと思うのです。
15年前の3月11日、私の勤務していた学校には、宮城県気仙沼市出身で、新規採用の女性教員A先生がいらっしゃいました。そして、震災直後、A先生の弟さんが津波にのまれて行方不明との連絡を受けました。
残念ながら遺体安置所で弟さんの身元が確認されたのは、震災発生から12日目、3月23日のことでした。つまり、私がコピーをとったこの新聞紙面には、A先生の若い弟さんの名前も記載されているのです。
私は、その悲しい事実を校長室に報告に来たときの、A先生の表情と言葉を忘れることができません。何とお悔やみの言葉を述べたらよいか迷っている私に対し、A先生は目にいっぱい涙を浮かべながら、それでも必死に笑顔をつくって、私にこう言ったのです。
「家族の行方さえわからない人が大勢いる中で、せめて身元が確認できただけでも有り難いことだと思っています。私は、弟を家族に帰してくれた海に、感謝しています」
私は、あれほど悲しく、あれほど気高い女性の笑みを見たのは初めてでした。現在A先生は、一度東京都の教員を退職して宮城県に戻り、故郷で再び教員生活を送られています。
2011年3月11日。あの日、かけがえのない多くの命が奪われました。そして、その命とつながっていたさらに多くの人々が、大きな悲しみと心の傷をかかえて生きていくことになりました。今日私が話したのは、そうした事実のほんの一端にすぎません。
皆さん、考えてください。
A先生の弟さんも含め新聞紙面に記載された775人の方々は、いったい何人の命とのつながりの中で生きていたのでしょうか?
人は、直接的であれ間接的であれ、たくさんの人とのつながりの中で生きています。家族、友人、先生、近所に住む地域の方々…。そして、それらの一人ひとりもまた、枝分かれするように多くの人とつながって生きているのです。
そうしたつながりのどこかで、あなたの幸せを喜び、あなたの不幸を悲しむ人がいます。15年前の私が、会ったこともない東北の若者の死に心を痛めたのも、その若者と私が、A先生を介してつながっていたからに他なりません。
人は、一人で生きているわけではありません。おそらく、いえ、間違いなくあなたが想像している以上に、多くの人とつながって生きています。自分の知らないところで誰かに支えられ、自分の知らないところで誰かに影響を与えて、あなたは生きているのです。
今あなたが座っている前後左右にも、この会場の後ろや横の座席にも、モニター越しに中継している教室にも、あなたとつながっている人がいます。どうかそんな自分を大切にしてください。自分を粗末に扱わないでください。
「自分を大切にする」ということは、「自分さえよければいい」と考えることではありません。「人とのつながりの中で自分を考える」ということです。自分だけでなく、自分とつながっている人も大切にするということです。
誤解を恐れず究極的な言い方をすれば「あなたの命は、間違いなくあなたのものであるけれど、あなた一人だけのものではない」ということなのです。どうかそのことを忘れず、自分を大切に、自分とつながる命も大切に、生きていってください。
これで、皆さんにできる最後の授業を終わります。結びに、私事を1つだけ言わせてください。
校長になって以来20年間、この板橋第三中学校では9年間にわたり、私はどの学校でも「東京で1番の学校」を夢に掲げてきました。その夢が叶ったかどうかは、私には分かりません。なぜなら、それを判断するのは校長の私ではなく、ここにいる生徒の皆さんであり、保護者・地域の皆様であり、先生方であるからです。
ただ、そんな私にも、1つだけ胸を張って断言できることがあります。それは、この学校で皆さんと出会い、皆さんと同じ夢を共有できた私は、「東京で1番幸せな校長」だったということです。
どうも有り難うございました。
卒業おめでとうございます。
どうかお元気で。さようなら。
令和8年3月19日 板橋区立板橋第三中学校長 武田幸雄