沿革

明治5年、学制が発布され、日本各地にいくつかの学校が誕生しました。 板橋第一小学校は、明治7年に当時の寺子屋「香林庵」母体として、板橋区内で最初の学校として誕生しました。 その後、何回かの改築工事を経て、平成25年に現在の校舎となりました。オープンスペースの学校で最新の設備が整えられ、平成26年度に創立140周年を迎えました。

校歌

「武蔵野は、月の入るべき山もなし、草より出でて、草にこそ入れ」
これは昔の古い歌です。このころ、板一小の周りには広々として原っぱがいくつもありました。
大正2年に、この古い歌をもとにして現在の校歌が創られましたが、誰が創ったのかははっきりしていません。
校歌

創立120周年の時に、記念歌として「ずっとずっと前から」が創られました。
その後、長きにわたり子どもたちの大好きな曲となり、第2校歌として歌い継がれています。
ずっとずっと前から

校庭の大いちょうは、本校よりもさらに前から今の地にあったと言われています。
本校だけでなく、板橋のシンボルとしても非常に有名です。
大銀杏
秋になると、みごとな黄金色となって、とてもきれいです。

校章


校章は、明治35年、そのころの先生が考えたものです。
「いたばし」の「い」を日本の国花「桜」の中に入れました。
校章
板橋第一小学校はイチョウの学校として有名ですから、校章も「イチョウ」だと思う方がたくさんおられますが、校章は「桜」です。

◆歴史

明治7年7月、今の仲宿にあった寺子屋「香林庵」を仮校舎として「板橋学校」が開校しました。
これが板橋第一小学校の始まりです。
先生は2人、子どもは30人でした。
香林庵

その後、香林庵のあった場所から乗蓮寺(現在は赤塚に移転)に新校舎が建ち、「乗蓮寺学校」と呼ばれて地域の方々に親しまれていましたが、町が発展し人口が増えてくるとせまくなったため、明治39年に、現在の場所に新築校舎を建てました。明治40年5月に新校舎が誕生し、当時としてはまれに見る立派な校舎だったそうです。
明治時代の校舎


関東大震災の時に多くの方が板橋区に避難してきました。そのため子どもたちの数が急に増え、1クラス90人、全校で2500人の学校となりました。
大正13年9月に、板橋第二小学校ができ、1134人の友達が4人の先生と一緒に移りました。その後、板橋第三小学校、第四小学校、第五小学校が同じように別れていきました。
分校

昭和39年には東京オリンピックが開かれ、それに伴って、現在の国道17号線や首都高速道路などの交通網が整備されました。
昭和36年から校舎の建て直しが始まり、昭和38年に鉄筋3階建ての校舎が誕生しました。当時、鉄筋3階建ての校舎は区内でも珍しい建物でした。
昭和校舎

平成6年11月に創立120周年を迎えました。
当時4年生の児童が作詞した「ずっとずっと前から」は、今も歌い継がれています。
120周年航空写真

平成16年、創立130周年の時に創られたキャラクター「イッチー」は今も学校のアイドルです。
これからも校庭のイチョウと共に学校を見続けてくれると思います。
イッチー

平成22年から新校舎改築の工事が始まり、平成25年9月に校庭の工事が終了して、現在の新校舎が完成しました。
ICT機器をはじめとしてオープンスペースの学校として生まれ変わり、板橋区で最も設備の整った学校の一つです。
12クラスまで増えた学級は年々増加し、18学級600人を超える学校となっています。
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