中学生広島平和の旅に参加した本校代表生徒が校内発表をしてくれました。体育館で行う予定でしたが、感染者増加のため、校長室から各教室へのオンラインで配信となりました。
下のおりたたみ記事「代表生徒のことば」には、プレゼンとは別に代表生徒が平和記念資料館について書いた作文を紹介します。
平和記念資料館
私の祖母は長崎の原爆での被爆者なので、小さい頃から原爆の事は少しだけ知っていました。もっと深く原爆・核兵器の悲惨さや恐ろしさについて学びたいと思い、私はこの旅に参加したいと思いました。そして私はこの旅でたくさん学ぶことができました。
旅のなかで平和記念資料館へ見学に行きました。資料館には、たくさんの原爆投下後の写真、絵や実物資料などがありました。それを通じて改めて原爆の恐ろしさや悲惨さと言うものを感じることができました。私が特に印象に残っている事は2つあります。
1つ目は、被爆前と被爆後の広島の街の写真です。広島の街が原子爆弾一発でこんなにも破壊されてしまうことに衝撃を受けました。特に原爆ドームは、もともとは立派な建物だったのに、爆風により曲がった鉄骨部分や崩れ落ちたレンガだけが残っていて、あまりにも変わり果てた姿に言葉を失いました。核兵器によって広島の街がこんなにも変わってしまい、たくさんの人々が亡くなってしまいました。
2つ目は、被爆当時を振り返った絵です。被爆後、水を求めて川に飛び込む人や火傷で、体が焼きただれた人の絵など、たくさんの原爆の恐ろしさを絵で表していて、まるで当時の場所で見ているようでとても怖かったです。私のそばで絵を見ていた女性は、そのあまりにも恐ろしい絵を見て倒れてしまっていました。それほど原爆は悲惨なものなのです。
77年前の8月6日、8時15分、一発の原子爆弾で9万人以上もの尊い命が一瞬にして奪われ、多くの悲しみを産みました。命が助かった人たちは、たくさんの困難を乗り越えながら、原爆について語り注いでくれています。私にとって被爆体験者の話を直接聞けたことは貴重な体験でした。これから私ができることは、原爆の恐ろしさや平和への願いを受け継ぎ、伝えていくことが大切だと思いました。
この世界にはまだまだ核兵器を所有している国がたくさんあります。本当に核兵器を廃絶するために、世界中の人が広島・長崎の悲劇を知ってほしいと思いました。