さて、9年生の皆さん。
私はこうした儀式的行事や全校朝礼は、自分が教え子にできる授業だと思って講話を考えてきました。ただし、私の授業の目的は、他の先生方と違い「何かをわかってもらうこと」ではなく、徹底して「何かを考えてもらうこと」にありました。それは、この最後の授業でも変わりません。皆さんは、私の話を聞き、わかったことなど何1つなくても構いません。ただし、私の話をもとに、何かを考えてください。
では、授業を始めます。
今から10年前のことです。野村総研というシンクタンクと、イギリスのオックスフォード大学が発表した共同研究の結果が、社会に衝撃を与えました。それは「AI(人工知能)の導入によって、今後10~20年の間に日本の労働人口の約50%の仕事がなくなる」というものでした。
あれから10年、私たちの仕事の半分がAIに奪われたという実感は、まだありません。しかし、この数年の間にAIは、皆さんのスマホにも搭載されるようになりました。学校教育への導入も検討されています。これからの10年は、これまでの10年とは比較にならないほど、AIが身近な存在となるに違いありません。
ここで、改めてAIとは何かを確認しておきましょう。文部科学省のホームページでは、子ども向けに以下のように説明しています。
【AIとは人工知能(Artificial Intelligence=アーティフィシャル インテリジェンス)の略称。コンピューターの性能が大きく向上したことにより、機械であるコンピューターが「学ぶ」ことができるようになりました。それが現在のAIの中心技術、機械学習です。機械学習をはじめとしたAI技術により、翻訳や自動運転、医療画像診断や囲碁といった人間の知的活動に、AIが大きな役割を果たしつつあります】
以上の説明にもあるとおり、AIの中心技術は機械学習です。わかりやすい例を挙げると、ChatGPT(チャットGPT)などの生成AIは、蓄積した大量のデータを学習し、そこから新たなデータや情報内容を生成する(つくり出す)能力をもちます。そして、質問したことに、まるで対話するかのように次々に回答してくれます。
では、皆さんに1つ問題です。といっても、小学4年生の理科の問題なので、難しくはありません。
【氷が溶けると□になる。□に当てはまる漢字1文字を答えなさい】
皆さんは瞬時にして【水】という漢字を思い浮かべたことでしょう。もちろん正解です。別にひっかけ問題ではありません。
しかし、ある北国の小学生が、この問題で×になりました。それ自体は他愛のないことだし、どの学校にもあることでしょう。ただ、その小学生の書いた「間違えた答え」に、私は感心しました。
北国の小学生が書いた答え、それは【春】という漢字です。
【氷が溶けると春になる】
理科の学習内容を答える問題なので、〇か×かでいえば×になります。しかし、個人的に私はハナマルを付けてあげたくなりました。
同じ質問をチャットGPTにしてみました。「氷が溶けると何になりますか?」私がそう尋ねると、即座に「氷が溶けると水になります」と返ってきました。こんな簡単な問題は言うまでもなく、あらゆる分野の専門性の高い質問にも即答できるAIは、実に大したものです。ただ、その一方で私は、こうも思うのです。【氷が溶けると春になる】という間違った答えを言える人間も、大したものだと。
小学4年生の子は、AIのようなデータがなかったから、テストで【春】と書いて×になったのでしょうか? 私は、そうは思いません。逆に、その子はAIにはないものを持っていたから、×になったと思うのです。
AIになくて、その子にあったもの。それは「感受性」です。
感受性とは、外からの刺激や知識、情報を受け取る心のはたらき(能力)のことです。例えば、悲しい映画を見て涙を流したり、美しい自然に触れて安らぎを覚えたりするのは、感受性のはたらきによります。ただ、刺激や情報を受け止めるのが機械ではなく人間ですから、それをどう受け止めるかというはたらき方は、人により異なります。つまり、感受性に正解はないということです。これは、AIのデータとの大きな違いです。
AIが持たない能力=感受性を、自分で錆びつかせていないか…? 近年、私はしばしばそう自戒してきました。そして、そのたびに思い出す詩がありました。茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』という詩です。知っている人もいるかと思いますが、紹介させてください。
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自分の感受性くらい 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのは どちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのは わたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
★ ★ ★ ★ ★
人生には、うまくいかないこともたくさんあります。勉強、部活、受験、就職、仕事、人間関係、恋愛、子育て…。むしろ、うまくいくことよりうまくいかないことの方が、多いかもしれません。
この詩は前々から知っていましたが、日常的に思い出すようになったのは、5年前に始まったコロナ禍がきっかけでした。未知の感染症対策により、学校運営や教育活動にうまくいかないことが増えました。どんな決断を下しても、必ず誰かから反対や批判の声を浴びせられました。
そうしたことが繰り返されるうち、いつの間にかうまくいかないことを【ひとのせい】【友人のせい】【近親のせい】【暮しのせい】【時代のせい】にしている自分に気づき、ハッとしました。そして【自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ】と、猛烈に反省したのです。
では、私が皆さんにできる最後の授業の、最後のメッセージです。
先にも述べましたが、感受性とは、心のはたらき(能力)です。したがって、感受性が豊かであれば、人への気配りや思いやりある行動がとれます。反面、そのぶん人の言葉に傷ついたりもします。しかし、これも先に述べたとおり、感受性のはたらき方は一人ひとり異なります。だからこそ、自分の感受性を守るということは、自分自身を生きるということでもあるのです。
傷つくことを恐れて自分自身を生きようとせず、うまくいかないことを自分以外の何かのせいにする生き方、笑いたくもないのに周りに合わせて作り笑いをする生き方、「はい」と「いいえ」の返事を言い間違える生き方、人の痛みを痛みとも思わない生き方を、皆さんにはしてほしくありません。
今日、皆さんは義務教育を修了します。この9年間で皆さんは、多くの知識を身につけました。とはいえそれを1粒の砂にたとえれば、AIの有するデータは、砂漠の砂に匹敵するといっても過言ではないでしょう。そんなAIと共存しなければならない10年後、もし皆さんがたった1つの「正しいとされる答え」しか導けない大人、もしくは「正解はいつも1つ」という前提に縛られた大人になっていたら、AIに仕事を奪われるという予想は現実のものとなるかもしれません。
【答えがすでにある問いなんかに用などはない】【ぼくだけの正解をいざ探しにゆくんだ】
皆さんがこの後歌う式歌『正解』の歌詞です。
どうか皆さん。10年後の世の中がどうであれ、皆さんは自分自身を生きてください。【氷が溶けると水になる】という正解だけでなく、【氷が溶けると春になる】と間違えられる感受性豊かな人であってください。そのためにも、自分の感受性くらい、自分で守れ、東京で1番の教え子よ。
令和7年3月19日
板橋区立板橋第三中学校長
武 田 幸 雄