ひと月ほど前のことですが、少し心が温まるニュースを目にしました。熊本のある神社の賽銭箱から、過去の過ちを謝罪する手紙とともに、10万円の入った封筒が見つかったというニュースです。
【30年以上になります。小さいころ家がまずしくてさいせんからぬすみました。本当にすいません。しっかりがんばってそれ以上のお金をお返しいたします。ずっとかんがえてまして。今日、これて本当によかったです】(手紙原文のまま)
お賽銭を盗むという行為は、犯罪です。しかし、手紙の主は30年以上罪と向き合い、贖罪の意識を持ち続け、やっとその償いをしたのでしょう。神様も、きっと許してくれたと思います。
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このニュースに触れ、私はシンガーソングライター・さだまさしさんの『償い』という曲を思い出しました。実話に基づいて作られた歌詞は少し長いのですが、全部紹介します。
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月末になるとゆうちゃんは 薄い給料袋の封も切らずに 必ず横町の角にある郵便局へ とび込んでゆくのだった 仲間はそんな彼をみてみんな 貯金が趣味のしみったれた奴だと 飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり
僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ たった一度だけ 哀しい誤ちを犯してしまったのだ 配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影にブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた
人殺しあんたを許さないと 彼をののしった被害者の奥さんの涙の足元で 彼はひたすら大声で泣き乍ら ただ頭を床にこすりつけるだけだった それから彼は人が変わった 何もかも忘れて働いて働いて 償いきれるはずもないがせめてもと 毎月あの人に仕送りをしている
今日ゆうちゃんが僕の部屋へ 泣き乍ら走り込んで来た しゃくりあげ乍ら彼は 一通の手紙を抱きしめていた それは事件から数えて ようやく七年目に初めて あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り
【ありがとう あなたの優しい気持ちは とてもよくわかりました だからどうぞ送金はやめて下さい あなたの文字を見る度に 主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい】
手紙の中身はどうでもよかった それよりも 償いきれるはずもないあの人から 返事が来たのがありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて
神様って思わず僕は叫んでいた 彼は許されたと思っていいのですか 来月も郵便局へ通うはずの やさしい人を許してくれてありがとう
人間って哀しいね だってみんなやさしい それが傷つけあってかばいあって 何だかもらい泣きの涙がとまらなくて とまらなくて とまらなくて とまらなくて
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私たちは、神様ではありません。神様ではないから、過ちを犯します。それは「失敗」や「間違い」場合によっては「罪」と言い換えてもよいでしょう。したがって、人は過ちを犯したかどうかではなく、犯した過ちとどう向き合ったか、それをどう償ったかで、その人間性を問われると思うのです。
さださんの『償い』は、20年以上前のある裁判で注目されました。それは、4人の少年が酔ったサラリーマンを暴行し死亡させた事件の裁判でした。加害者の少年たちは、反省の言葉は口にするものの、その態度や表情に誠意は感じられませんでした。そんな彼らへの判決言い渡しの際、裁判官は少年たちにこう説諭したのです。
「君たちは、さだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるだろうか。この歌の、せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」
繰り返しますが、神様と違い人は過ちを犯します。だからこそ、過ちを犯すのが人ならば、誠意ある行動で償うのもまた人であることを、忘れてはいけないのです。