本日は、第74回卒業式にあたり、ご多用中にもかかわらず板橋区を代表して区民文化部長・板橋区議会議員・本校iCS委員長をはじめPTA・町会・自治会の皆様にご臨席を賜りました。学校を代表して御礼申し上げます。有り難うございました。
保護者の皆様におかれましては、お子様のご卒業まことにおめでとうございます。心よりお祝い申し上げますと共に、コロナ禍により多くの我慢と不自由を強いた3年間となりましたことを深くお詫び申し上げます。
ただその一方でこの3年間、本校教職員は常に全力でお子様の指導・支援にあたってまいりました。どうかそれに対するご理解だけはお願い申し上げますと共に、皆様より賜りました本校教育活動へのご協力に心より感謝申し上げます。
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さて、9年生の皆さん。
3年前の入学式で述べた私の式辞を覚えているでしょうか。いえ、正確には、皆さんの入学式はコロナ禍で中止となりました。のみならず、緊急事態宣言の発出により入学当初から臨時休校・自宅待機となった皆さんに向け、私は式辞に代えてYouTube動画でメッセージを配信しました。
撮影に協力していただいた先生以外は誰もいない体育館で、私はカメラの向こうにいるであろう皆さんに向かって、メッセージを投げかけたのです。ただし、そもそも動画自体を視聴していないという人も、いるかもしれませんね。そういう人のために、この場を借りて少しおさらいさせてください。
私はそのメッセージの中で、皆さんは前年までの板三中の学校像を、大きく変える変革期に入学したと話しました。そして、変革の要素を3つ挙げました。
1つは、長年にわたって掲げられていた教育目標が、『学ぶ・鍛える・思いやる』に改定されたこと。2つ目は、細かいところまで定めていた校則が、『Be Gentleman(紳士であれ)』に1本化されたこと。そして、もう1つが、新型コロナウイルスの感染拡大です。
それらを変革の3要素とした上で、私は結びに次のように呼びかけました。当時のメッセージを、そのまま引用します。
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以上の話からもわかるように、皆さんは大きな変革期に入学しました。いわば皆さんは、新しい学校、新しい板三中を創り上げていく「新しい人」なのです。
先程も述べたとおり、現在私たちは新型コロナウイルスという目に見えない相手との闘いの真っ只中にいます。そして、どうすればその闘いに勝てるのか、いつその闘いが終わるのか、心配や不安は尽きません。しかし、私の胸の中は、「新しい人」を仲間に迎え、「新しい人」と共に学校生活を送れる期待の方がまさっています。
新しい人よ。
新型コロナウイルスに負けず、共に「新しい学校」を創り上げていきましょう。
新しい人よ。
様々な困難を一つ一つ乗り越え、共に板三中を「東京で1番の学校」にしていきましょう。
学校再開後、皆さんと笑顔で会えることを楽しみにしています。
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…と、こんなメッセージを覚えている人は、おそらくいないでしょう。当の私でさえ「そうか、3年前にこんなことを呼びかけたのか」と、改めて思い出したほどですから。一方で私は、3年の時を経て今日の卒業式で話そうと思ったことと、あの日配信動画で話したことの不思議な符合に、我ながら驚いています。
実は、私は今日、皆さんに「時代」というものについて話そうと思っていたのです。ただし、それは江戸や明治など歴史的区分としての時代ではありません。
時代には、人々の暮らしや価値観が大きく変わる転機となった出来事の「前か後か」という区切り方もあります。代表的なものが、第2次世界大戦を転機とした「戦前・戦後」です。
18世紀のヨーロッパにおける「産業革命前・革命後」も、その1つでしょう。また、個人的には12年前に発生した東日本大震災も、「震災前・震災後」という時代に分ける転機になったと思っています。
そうした視点から時代を捉えるならば、今まさに皆さんは2つの時代の転換期を生きようとしています。1つは「コロナ前」、もう1つが「コロナ後」です。今日、そんな話をしようと思っていたところで、3年前に配信した話とも合致することに気づいたのです。
皆さんが入学した時、私は皆さんのことを新しい学校・新しい板三中を創り上げていく「新しい人」と呼びました。そして、そんな「新しい人」に対する期待の方が、未知のウイルスへの不安や心配よりまさっていると話しました。
今私は、あのときの自分の期待が正しかったと確信しています。
皆さんも、私たち教師も、新型コロナウイルスによってたくさんの不自由を強いられました。一方で、その不自由さは、「コロナ前」の自由だった学校を見直すきっかけを与えてくれました。そして、実は非効率的だった授業、慣例慣行を理由に続けていた活動、前例を踏襲していただけの行事もあることに、気づかせてくれました。
だからこそ私たちは、不自由を嘆いて「コロナ前」を懐かしむのではなく、「コロナ前」への回帰を願うのでもなく、ただただ「コロナ後」の新しい学校だけを見据えて過ごしてきたのです。
そのように過ごしたこの3年間、たくさんの不自由を我慢し乗り越えた皆さんは、Chromebookを活用した次世代型の学習活動、合理的で効率的な行事のあり方、細かな校則ではなく、ジェントルマンの精神に基づいて自分を律する校風を根付かせてくれました。
今や板三中は、「コロナ前」の板三中ではありません。皆さんは、3年前に私が期待したとおり、新しい板三中の礎を築いてくれた「新しい人」だったのです。
そんな「新しい人」たちに、あと1つだけ、勝手に期待させてください。「勝手に」と言ったのは、3年前と違い学校とは全く関係ない期待だからです。
したがって、その期待に応えるか応えないかは、皆さん次第です。さらに言うと、仮に応えてくれるにしてもどのような方法で応えるかは、皆さん一人一人が考えてください。
先程のビフォア・アフターの時代区分でいうと、現在は「コロナ前・コロナ後」ともう1つ、さらに大きな時代の転換期を迎えています。それは「ウクライナ前」と「ウクライナ後」です。
「戦後」という時代の中で、多くの人類が民主主義の理想を掲げ、平和共存の道を探ってきました。しかし、昨年2月24日、80年近くに及んだ「戦後」を一気に崩壊させてしまう出来事が、ウクライナで発生しました。その不幸な出来事が、いつ、どのような形で終わるのか、私にはわかりません。ただ、1つだけ断言できることがあります。
それは、ウクライナの地で戦火が止んだ後、つまり「ウクライナ後」の世界は、「ウクライナ前」と大きく変わらなければならないということです。ミサイルや戦車、さらには核兵器に頼らない、新しい正義と秩序によって守られた新しい世界でなければならないということです。
そして、そういう世界を築けるのは、「戦後」を守れなかった私たち大人ではありません。皆さんのような「新しい人」たちなのです。
先程も言ったように、いつ「ウクライナ後」の時代が訪れるかはわかりません。もしかしたら、コロナの3年どころか5年、10年、いやもっとかかるかもしれません。ただ、それでも私は、コロナ禍を乗り越えた「新しい人」なら、必ずできると信じています。
「新しい人」は、皆さんだけではありません。日本各地はもちろん世界中にいます。アメリカや中国にもいます。スロバキアにも1人いることは、皆さんが一番よくわかっているでしょう。さらに言えば、ウクライナやロシアにだっているはずです。
そういう世界中の「新しい人」が力を合わせ、いつか新しい世界の扉を開けてくれることを期待して、私が皆さんに贈る「最初で最後の式辞」といたします。
卒業おめでとう。お元気で。さようなら。
令和5年3月17日
板橋区立板橋第三中学校長 武田幸雄