学校日記

令和7年度 卒業式

公開日
2026/03/26
更新日
2026/03/26

できごと

令和7年度 校長式辞

保護者の皆様、本日はお子様のご卒業、まことにおめでとうございます。

心も体も立派に成長されたお子様の姿に感慨もひとしおのことと存じます。

心からお祝い申しあげます。

本日は、板橋区長 坂本 健 様をはじめ、

多くのご来賓の皆様のご臨席を賜りました。誠にありがとうございます。

子どもたちの晴れやかな門出を見守り、祝福いただきますことを、

日頃のご支援と重ね合わせ、深く感謝申し上げます。


さて、私は、この2月、沖縄県那覇市にある対馬丸記念館を訪ねました。


対馬丸は子供たちを戦争が激しくなった沖縄から九州に避難させるために、

終戦の1年前、1944年 8月、子供834名を含め1788名が那覇の港を出ました。


ぼくらは、いまから80年前、 戦争ばっかりの時代に生まれたんだ。

沖縄が危険になって、 九州へ移動しようとしたんだけど

そのとき乗った船「対馬丸」は、

アメリカの潜水艦に攻撃されて沈んでしまった。

海にほうりだされたお友だちのなかには、

 なんとか生きた子もいたけど波にのまれて、

力つきて、海の底へ沈んでしまったぼくらのような子がほとんどだった。

ぼくたちは沈んでしまったあのときのまま、 

今もきみの目の前に広がる海の中にいるんだ。

ぼくたちはどうして死ななくちゃいけなかったの?

ぼくたちは、なにか悪いことをしたのかな。

ぼくらのような思いをする子が、

もう二度とでないように、

今、ほくらに約束してほしいんだ、

平和に生きるって。


対馬丸から海に投げ出された人のうち、生存者はわずか280名。

1500人もの人が深い海の底に沈んだのです。

国民の戦争に対する意欲が損なわれることを恐れ、対馬丸のことは秘密にされました。


そして、60年後の2004年

多くの子供たちが対馬丸と共に海に消えた同じ8月22日に、

出航した港の近くに学童疎開船対馬丸の悲劇を後世に伝えようと、

対馬丸記念館は開館しました。

記念館の壁には、小学生、先生、一般の疎開者、赤ちゃん、

そして乗組員など犠牲者の顔写真が五十音順に並んでいます。


板橋区も激しい空襲を受け、多くの犠牲者が出ました。

板橋区は二度と戦争を起こさないと願い1985年に平和都市宣言をしました。

昨年度、今、ここにいる5年生全員が応募した平和のポスターコンクール。

そして毎年8月に区立中学校の代表を広島そして長崎での平和を祈る式典に派遣する平和の旅など、

板橋区は平和に対するさまざまな取り組みをしています。

平和は一人一人の心の中にあります。学びとは過去を知り、未来を切り開く知恵をもつことです。

平和とは、今、あなたの隣にいる人を大切にすることです。

そして、家族に感謝することです。

私は一人一人がその気持ちを忘れないで欲しいと願っています。

春のこのよき日、中根橋小学校巣立つ皆さんへのはなむけの言葉とします。