学校日記

お昼の放送「年末の思い出」

公開日
2020/12/25
更新日
2020/12/25

学校日記

※昨年度までは、月曜の朝には全校で校庭に集まって、児童朝会を行っていました。しかし、今年度は6月の学校再開以来、感染症防止の観点から一斉に集まる朝会は行っておりません。その代わりに毎週放送で給食の時間に子どもたちに校長からのメッセージを伝えています。

 給食中、失礼いたします。
 今日もこの給食の時間を利用して放送で、皆さんにお話をしたいと思います。給食を食べながら話を聞いてください。
 今日は私の年末の思い出をお話しします。私が小学生の頃、私の家は、父と母が二人で食堂を経営していました。ラーメンにカツ丼、生姜焼定食にカレーライスなど、たくさんのメニューがあったのを思い出します。その当時、家の近くはたくさんの大学があり、お昼の時間は大学生のお客さんで店はいつもいっぱいでした。年末は決まって12月28日までお店を営業し、29日と30日でお店と住まいの両方の大掃除をしました。私が小学校6年生だったときの年末の大掃除で忘れられない思い出があります。厨房と言って料理を作るところを父が掃除していたときのことです。食堂ですから普通の家庭と違って壁のステンレスもかなり油汚れが付きます。ガス台に椅子をのせて天井近くまで壁を拭いていたときに、ガス台から椅子の脚が外れ、父はそこから落ちてしまったのです。
 かなり高くから勢いよく落ちてしまったのですが、たまたま通路を挟んだ調理台の上に背中から落ちました。直接地面に落ちなかっただけまだ良かったのですが、それでも調理台の上の食材が入っている業務用の四角い大きな缶がぐしゃっとつぶれるくらい背中が当たり、調理台の上のお皿やラーメンどんぶりはすごい音を立てて、何枚も割れました。父の背中は缶の跡がL字型にくっきり付き、紫色にはれ上がりました。ううっといったまま起きられず、救急車で病院に運ばれました。
 年末の思い出というのは実はここからです。当時6年生だった私と3年生だった弟と二人で父のために何かできないかと話し合い、掃除の続きをしたのです。洗剤が顔にはねたり、油で手がべとべとになったりして、とっても大変でした。父が毎年やってくれていた掃除の大変さが初めて分かりました。掃除は31日の大晦日までかかり二人ともくたくたになりましたが、厨房はぴかぴかになりました。年が明けて父が退院し帰ってきたとき、厨房を見てすごく驚いたのを今でも鮮明に覚えています。「これ、おまえ達がやったのか」と何度も言い、目に涙を浮かべ頭をなでてくれました。
 私はそのとき父の涙を初めて見ましたが、今でも年末になると思い出すいい思い出です。

過去の「お昼の放送」はこちらから
https://www.ita.ed.jp/swas/index.php?id=1310262&frame=frm5fcf1bccc6c9d#elm_h2_00003