本日は、第73回卒業式にあたり、ご多用中にもかかわらずPTA会長代理・○○様、iCS委員長・△△様にご臨席を賜りました。学校を代表して、心より御礼申し上げます。一方で、新型コロナウイルスの感染拡大により、今年もお2人のご来賓しかお招きすることができませんでした。
また、昨年と同様7・8年生は今、リモート中継された卒業式の様子を教室で見ています。その在校生対応や放送機器トラブルに備えるため、教職員も全員そろっていません。さらに保護者の皆様の参列も、制限を設けさせていただきました。
まずその保護者の皆様に、申し上げます。感染症対策のためやむを得ないこととはいえ、簡素化した卒業式になりましたこと、さらにこの2年間、コロナ禍によりお子さんの学校生活にたくさんの我慢と不自由を強いてまいりましたことを、深くお詫び申し上げます。
ただ、お子さんの入学以来3年間、本校教職員は常に全力でお子さんの指導・支援にあたってまいりました。どうかそれに対するご理解だけはお願い申し上げますとともに、この3年間に賜りました本校教育活動へのご協力に心より感謝申し上げます。
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さて、9年生の皆さん。月に2〜3回行われる全校朝礼(校長講話)は、私が皆さんにできる「授業」と考えてきました。そういった意味で今日は最後の授業です。
授業ですから、当然「めあて」があります。今それを共書きするわけにはいかないので、口頭で伝えます。
【校長の話を目と耳と心で聴き、今自分にできることを考え、考えたことを実行できる】
これが、めあてです。
では、授業を始めましょう。改めて、私が号令をかけます。
起立。気をつけ。目を見て挨拶をしましょう。宜しくお願いします。
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最後だからといって私は、皆さんとの思い出話をするつもりはありません。めあてにあったとおり、あえて過去を振り返るのではなく、今この時だからこそ考えてもらいたいことをお話しします。
それは、約3週間前の出来事でした。現在私は、感染症対策も兼ねて自転車通勤をしています。そのためごくまれに、通勤経路上にあるスーパーで買い物をしてから帰宅することもあります。
約3週間前のその日、夕方ということもあり、スーパーは混雑していました。店舗前の駐輪場もいっぱいで、歩道にまで自転車があふれるほどでした。やむなく私は、店から少し離れた駐輪場に停め、店内に向かいました。そのとき、残念な光景を目にしたのです。
それは、店の前の歩道に、一人の女性が自転車を停めている光景でした。もちろん、それだけなら残念ではないのですが、女性が自転車を停めた場所は、黄色い点字ブロックの上だったのです。
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皆さんも、歩道や駅のホームで、点字ブロックは見たことがあるでしょう。正式には「視覚障害者誘導用ブロック」といい、目の不自由な方に移動の方向を示したり、注意を喚起したりする目的で敷設されています。
先日の『盲導犬学習会』でも使われていた言葉ですが、「白い杖」と書いて「白杖(はくじょう)」と読みます。目の不自由な方は、その白杖で点字ブロックの感触を確かめながら歩きます。
したがって、そうした方にとって点字ブロックの上に障害物を置かれることは、私たちが歩いている時に突然後ろから目隠しされたようなものです。
そんなことを知ってか知らずか、そそくさと店内に入っていった女性に、一抹の腹立たしさを覚えながら、私は彼女の自転車を点字ブロックの上からずらしました。
女性には、急がなければならない事情があったのかもしれません。わざとそこに自転車を置いたわけもないでしょう。ただ、悪意はないにせよ、その行為に「優しさ」が欠けていたことは事実です。
皆さんは、その女性に欠けていた「優しさ」とは、いったい何だと思いますか?
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使い古された言い方かもしれませんが、「優しい」という字は【イ】(にんべん)に【憂】(うれえる)と書きます。「人を憂える」と書いて「優しい」。では、「人を憂える」とは、どういうことでしょうか。
簡単に言うと、それは「人を心配する」ということであり「人のことを気にかける」ということです。さらに言葉を付け足せば「人の痛みを、自分の痛みとして共有する」ということだと思います。
ただし、痛みは目に見えません。したがって、私たちは想像することでしか、人の痛みを共有することができないのです。
とはいえ、それは難しいことではありません。例えば「ここに自転車を置くことで、誰かに迷惑をかけないか」と考えることも、人の痛みを想像することです。
自分のとる行動が、他者に与える影響を想像できるかどうか? SNSも含め自分の発する言葉で、誰かが傷つくかもしれないことを想像できるかどうか? 困っている人や弱い立場にある人の目線で、その人に何が必要かを想像できるかどうか…?
私は、そういう想像力を働かせられる人が「人を憂えることのできる人」つまり「優しい人」なのだと思います。
そして、人の痛みが想像できたら、今度はその痛みを少しでも和らげるため、具体的な行動をとってあげられる人。私は、そこまでできる人のことを「優しさに秀でた人」、そう、「優秀な人」と呼ぶのだと思います。
学校の成績が良いことや、偏差値の高い学校に進学しただけで「優秀な人」とは言いません。社会的地位の高い人や、大企業で高収入を得ている人が「優秀な人」なのでもありません。さらに言えば、一国の元首が必ずしも「優秀な人」であるとは限らないのです。
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約3週間前、スーパーで目にした小さな出来事からそんなことを考えたのは、時を同じくして東ヨーロッパのウクライナという国で、悲しい出来事が起きたからです。私は学者でも評論家でもないので、ここでその原因や歴史的背景などを言うつもりはありません。
ただ、ただ、教師として、1人の人間として、かの地で多くの子どもたちが体も心も痛めている事実を、憂えています。
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砲撃の巻き添えで重傷を負い救急搬送され、医師たちから懸命の心臓マッサージを受けている意識不明の子どもがいました。防空壕の中で空を飛び交うヘリコプターの音に耳を塞ぎながら、目に涙を浮かべて「死にたくない」と訴える子どもがいました。
隣国のポーランドまで逃げるため、氷点下の道を一晩かけて30kmも歩き続け、国境に着いたとたん大声で泣き出した子どもがいました。爆撃を受けた小児病院から救助され、血を流したまま毛布にくるまれ、兵士に抱っこされている子どもがいました…。
先ほども言ったとおり私は、そんな子どもたちの痛みを想像し、憂えています。しかし、子どもたちの痛みを和らげる具体的な行動は、何一つとれていません。点字ブロックの上に置かれた自転車をどかす力はあっても、あの子たちの味わっている痛みの前には、全くの無力です。
だからこそ、この最後の授業で皆さんに訴えかけることを、今の私にできるせめてもの行動にしたいのです。
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私は、若い皆さんに期待しています。第2次世界大戦が終わり、77年の月日が流れようとしています。しかし、この間、規模の違いこそあれ、常に世界のどこかで戦争や紛争、内戦、侵攻などと呼ばれる武力行使が繰り返されてきました。
私は、やれ国際社会だ、やれグローバル化だと言いながら、私たち大人の世代が変えられなかった世の中を、若い皆さんに変えていってもらいたいと思います。
そのためにも、どうか皆さん、覚えておいてください。
世の中を変えるためには、人を変える必要があります。さらに、人を変えるためには、その人に対する憎しみや怒りでなく、優しさが必要です。ただし、優しいだけでも、人を変えることはできません。
人を変えるためには、思いを行動に移すこと、つまり、優しさに秀でること、「優秀」であることが求められるのです。
私は、9年生の皆さんは全員「優しい人」だと信じています。そして、これから先、そんな皆さんの中から1人でも多くの「優秀な人」が現れてくれるよう願っています。
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結びに、もう1つだけお願いです。今この会場にいらっしゃる皆さんのご家族、地域の皆様、そして先生方は、この3年間常に皆さんのことを憂え、皆さんに対する「優しさ」を具体的な行動で示してきました。
つまり、ここにいる大人は全員、皆さんにとって最も身近な「優秀な人」だったのです。どうか、今日はそのことに、心から感謝してください。
では、これで授業を終わります。終業の号令も、私がかけます。
起立。気をつけ。目を見て挨拶をしましょう。有り難うございました。
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こちらこそ、3年間有り難うございました。卒業、おめでとう。お元気で。さようなら。
令和4年3月18日 板橋区立板橋第三中学校長 武田幸雄