本日の話は、皆さんの語彙力を高めるMT(ミーニングタイム)から入ります。
【大山鳴動して鼠一匹】(たいざんめいどうしてネズミいっぴき)という慣用句を知っているでしょうか。【大山鳴動して】つまり「大きな山が地鳴りの音とともに揺れ動いて」という意味です。
そのため何が起きるのかと身構えていたところ【鼠一匹】つまり「小さなネズミが1匹出てきただけだった」という意味になります。そんなことから「大騒ぎしたわりには、結果は大したことのないこと」といった意味で使われる言葉です。
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さて、今年1月6日、都心に大雪警報が出されるほどの積雪があり、日常生活の様々な面で支障が出ました。そして、さる2月10日と14日にも、その1月6日と同等か、それ以上の積雪となる可能性を天気予報が伝えていました。
それを受けて各報道機関は再三、凍結した路面への注意喚起や、交通機関の乱れに対する備えを促しました。
ところが、2月10日14日ともに霙は降ったものの、天気予報や報道ほどの大雪にはなりませんでした。SNSではその様子を【大山鳴動して鼠一匹】と揶揄する(からかう)声もありました。
この場合、言葉の使い方としては間違っていません。ただし、自然災害で【大山鳴動】を軽んじる風潮は危険だと、私は思います。
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本日は、もう1つMTです。
【杞憂】(きゆう)という故事成語があります。「その昔、中国に杞の国という国があった。杞の国の人々は『いつか天が落ちてくる』と憂え、心を悩ませ、ついに食事ものどを通らず夜も眠れなくなってしまった」という故事(古い言い伝え)から生まれた言葉です。転じて「取り越し苦労」や「無用の心配」といった意味で使われます。
この【杞憂】と、先の大雪に対する【大山鳴動】は、今後起きるかもしれない事態への不安や恐れという点で同じです。ただし、両者には決定的な違いがあります。それは、エビデンス(明確な根拠・客観的な裏付け)の有無です。
「天が落ちてくる」などということに、何のエビデンスもありません。それに対し天気予報は、最新の気象衛星やコンピュータによる気圧配置・降水量・気温・風向きなどの予測、つまり、エビデンスに基づいています。だからこそ報道機関も、被害や混乱を未然に防ぐ注意喚起を繰り返すのです。
大きな山が地鳴りをあげて揺れ動く【大山鳴動】は、恐れて当然の事実です。むしろ、恐れなければいけません。そして、その恐るべき事実から予想される噴火や落石などに、冷静に備える必要があります。
「正しく恐れる」とは、そういうことです。
仮にその結果が【鼠一匹】だったとしても、それは文字どおり結果論に過ぎません。「無駄に恐れて損をした」ではなく「恐れたことが現実にならず良かった、助かった」と考えるべきなのです。
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まもなく3月11日がやってきます。東日本大震災発生から11年目となります。あの日、津波警報を聞いても「ここまではこないだろう」「まだ大丈夫だろう」と考えた多くの人が、残念ながら命を落とされたという証言があります。
津波や地震に限らず、大雪や大雨、さらには猛暑など自然災害に関わる警報や注意喚起は、全てエビデンスに基づいて発せられていることを、忘れてはいけません。
似たようなことは、自然災害だけでなく感染症にも言えます。新型コロナウイルスを過度に恐れるあまり、医療従事者を差別したり感染者を非難したりするのは、杞の国の人と同じです。
逆に、自己流の解釈や判断で対策をおろそかにすることも、エビデンスに基づいていないという点では、杞の国の人と同じと言えるでしょう。
それが自然災害であれ感染症であれ、私たちは正確な基礎知識やデータ、最新の情報を基に冷静な対策を継続しなければなりません。繰り返しますが、それが「正しく恐れる」ということなのです。