約1ヶ月前、第101代内閣総理大臣に任命された岸田文雄首相は、ご自身の「聞く力」をアピールポイントとされています。それとは意味も漢字も違いますが、今日は私の考える「聴く力」(『聞く力』ではありません)について話をさせてください。
全校生徒が体育館に集まって朝礼を行っていた頃、私は講話の冒頭で「目と耳と心で話を聴いてください」とお願いしていました。
こうしてリモートで朝礼を行うようになってからは、講話の内容を記載した校長通信も配付しています。そこには感染症対策だけでなく、紙面を通して少しでも皆さんのRS(リーディング・スキル=読み解く力)を育成したいという理由があります。
そのため今日も「目は校長通信を見ながら、耳と心は私に向けてください」とお願いしました。では、耳だけでなく心と目でも話を聴くとは、どういうことなのでしょうか。
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それは、まず「その人の話を聴こう」という心をもつことです。すると、目は自然とその人に向くので、音声(言語)という聴覚情報に、顔の表情や身振り手振り、場合によっては文字などの視覚情報も加わります。
もともと心が「聴こう」と能動的になっているところに、新たな情報がインプットされるのですから、話の理解は一段と深まるでしょう。
さらに、話の理解が深まれば、心の中で頷いたり、逆に首を振ったりして話を聴けるようになります。つまり、共感力や批判的思考力も養われるのです。だから、大事な話は耳だけでなく、目や心でも聴いてもらいたいのです。
もう一つ、私は先程から【聞く】ではなく【聴く】という漢字を用いています。
では、ここで皆さんの語彙力を高めるMT(ミーニング・タイム)です。同じ読み方をする両者について、皆さんの教室に置いてある国語辞典では、次のように説明しています。
【聞く】 音や声を耳で感じる。
【聴く】 自分の方から積極的に耳を傾ける。
もうわかったと思います。広く音や声を耳で感じること全般を指す【聞く】に対し、【聴く】には明確な意思がはたらいているのです。つまり、注意深く「きこう」と思って「きく」のが【聴く】なのです。
ここから先は、私の勝手な解釈です。正式な漢字の成り立ちとは異なりますが、聴いてください。
【聴く】という字を分解すると【耳】の横に【十四の心】とあります。そんなことから私は、「耳に十四の心を宿す」ことが、【聴く】という行為だと思うのです。さらに私は、その「十四(14)」という数字にも、意味があると考えます。
日本も含め東洋には、十五夜(満月)を表す「15」を完全な数字と解釈する思想があります。その思想において私たち人間は、不完全な存在であり、永遠に15(完全)にはなりえません。
しかし、だからこそ十四(14)は、その不完全な人間が到達できる限界の数字であるとも言えます。
つまり、少し大げさな言い方をすれば、【聴く】とは、人間が限界まで心(感覚)を研ぎ澄まして耳を傾けることなのです。人気アニメ『鬼滅の刃』の言葉を借りるなら、全集中の呼吸で耳を傾けることだと、私は思うのです。
一方、日常会話は【聴く】ことよりも、むしろ「聞き流す」ことで成り立っています。他愛ない世間話や雑談にいちいち全集中していたら、それこそ神経がもたないでしょう。
ただし、学校生活の「ここ」という場面では、目と耳と心で話を聴いてください。例えば、先生が授業で特に力を入れた説明、皆さんの命や安全に関わる注意、人として大切なことを伝える話などに対しては、全集中の「聴く力」を発揮してもらいたいと思います。