富士見高原移動教室、文化祭と大きな学年・学校行事が終わると同時に、11月を迎えました。それを機に先生方は会議で、大きな行事のない2学期後半は、『楽しい授業』づくりに注力するという共通理解を図りました。
といっても、特段難しいことではありません。これまでも『楽しい授業』を創るために力を入れてきたChromebookの有効活用や「読み解く力」の育成、めあてと振り返りの重要性を再確認しただけです。先生方の願いは、生徒の皆さんに「授業が楽しい」と思ってもらえることなのです。
その一方で私は、生徒の皆さんにも確認しておきたいことがあります。『楽しい授業』とは、一体どんな授業を指すのでしょうか?
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結論を先に言います。
それは『わかる授業』です。
授業を受けた結果、それまでわからなかったことがわかるようになった、できなかったことができるようになった、知らなかったことを知ることができた…。そんな実感をもてる授業が『わかる授業』であり『楽しい授業』です。
逆の言い方をすれば、皆さんにとって何一つわかることのなかった授業、発見のなかった授業、何かができるようになったという実感のもてなかった授業は『つまらない授業』だと言えるでしょう。
板三中の先生方は、教材研究はもちろん、Chromebookを有効に活用した授業準備、様々な研修会への参加などを通し『わかる授業』を行うための努力をされています。ただし、それだけで『わかる授業』を創ることは不可能です。
なぜなら、授業とは、何かを「わからせたい」と願う先生と、「わかりたい」と願う生徒との協働作業だからです。この場合の「協働」には「同じ目的をもつ者どうしが、力を合わせて活動する」という意味があります。
英語では「 collaboration(コラボレーション)」や「 partnership(パートナーシップ)」という言葉が当てはまります。「パートナーシップ」という言葉からもわかるように、先生と生徒は『わかる授業=楽しい授業』を創るという共通の目的をもったパートナー(相棒)なのです。
したがって、もし皆さんが「今日の授業はよくわかった、楽しかった」と思えたのであれば、その要因の半分はパートナーとしての先生の授業改善で、半分は一方のパートナーである皆さんの学びに向かう力です。
逆に「今日の授業はわからなかった、つまらなかった」と思ったときも、私は先生の責任と皆さんの責任は50%ずつだと考えます。
改めて、確認しておきます。
机に突っ伏している人、授業を円滑に進めるうえで必要な家庭学習課題をやってこない人、Chromebookも含め授業道具を忘れてくる人、授業と関係のないことをしている人、活気ある授業と騒がしい授業の区別がつかない人…。
そんな人には授業を楽しむことはできないし、まして「今日の授業はつまらなかった」などと言う資格もありません。
逆に、(板三中にはいないはずですが)もし先生が『わかる授業=楽しい授業』を創る責任を果たしていないと感じたときは、私に報告してください。
例えば、今例として挙げたような生徒に適切な指導を行わない先生、その授業に「わからせる」ための工夫が全く見られない先生がいたなら、私はその先生に、パートナーとしての責任を果たすよう働きかけます。
それが、校長である私の責任です。
繰り返しますが、生徒の皆さんは、基本的には授業の「受け手」です。ただし、単なる「受け手」ではありません。50%の「受け手」であると同時に、50%の「創り手」でもあるのです。どうかその自覚をもって、毎時間の授業に臨んでください。