今日は『読書週間』にちなみ、私が皆さんと同世代の頃、つまり小中学生時代に読んだ2つの小説を紹介します。厳密には小説というより、2つの小説に書かれた一節と、それに関するエピソードの紹介といった方がよいかもしれません。
まず、小学6年生の時に読んだ『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)から、主人公のジョバンニが、銀河鉄道に乗り込んだ場面です。
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【するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションという声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくしておいた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまいました。】
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非常に長い1文で、本来は3〜4文に分けた方が適切かもしれません。しかし、句切りがないため、逆に一連の流れとして私の頭の中には、すっと入ってきました。だからでしょうか、その描写から想像できる幻想的な美しさに、一読して私は心を奪われたのです。
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ただし、実は当時、私は宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』を通して何を言いたかったのかが、さっぱりわかりませんでした。
それでも先の情景描写が心に焼き付いていたことに加え、『銀河鉄道999』という似た名称の漫画やTVアニメ、人気ロックバンドの曲が流行ったこともあり、その後も中学・高校にかけ何回か読み直しました。
そして、ようやくこの小説の主題に自分なりの解釈ができるようになった時は、すでに大学生になっていました。
中学生時代に読んだ小説で紹介したいのは、川端康成の『伊豆の踊子』の一節です。
伊豆で一人旅をしていた学生の【私】が、旅芸人一座と一緒になり道中を共にします。そして、一座の踊子の少女に恋をし、旅の終わりとともに別れるまでを描いた小説です。次の一節は、その最後の場面、港で少女と別れた後、東京行きの船の大部屋で寝転がった学生の描写です。
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【私はカバンを枕にして横たわった。頭が空っぽで時間というものを感じなかった。涙がぽろぽろカバンに流れた。頬が冷たいのでカバンを裏返しにしたほどだった。《 中 略 》 私は涙を出委せにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。】
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淡くせつない恋の終わりが描かれた一節です。ただ、これもまた当時の私には、わからないことがありました。学生は、人との別れにここまで泣いておきながら、なぜその直後の感覚が【甘い快さ】だったのでしょう? 皆さんは、どう思いますか?
その「なぜ?」に自分なりの答えを出せたのは、私が教師になってからでした。具体的には、中学3年生の担任として、卒業生を送り出した時のことです。まだ若かったこともあり、私は教え子との別れに涙が止まりませんでした。
しかし、その涙が出尽くした時、急に心地よい脱力感に襲われたのです。そのとき、ふと、この感覚こそが『伊豆の踊子』で描かれた【甘い快さ】なのではないかと、なんとなく理解できました。
読書には、読んですぐに感動したり知識を得たりする即効性(すぐに効果や結果が現れること)がある一方、私が体験したような遅効性(時間がたって効果や結果が現れること)もあると思っています。
言い方を変えれば、読書には「いつかわかる面白さ」や「何回か読んで初めてわかる面白さ」もあるのです。
今日は、そんなことを知っておいてほしくて、とりとめのないエピソードを聞いてもらいました。