※ 写真は、芥川龍之介です
大正文学を代表する作家・芥川龍之介の小説は、ほぼ全部読みました。短編小説が多いこともあり、おそらく150編以上に上るかと思います。
その中で皆さんも知っていそうな作品を挙げれば『蜘蛛の糸』『トロッコ』『杜子春』などがあるでしょうか。ただ、今日私が皆さんに紹介したいのは『手巾(ハンケチ)』という小説です。簡単にあら筋を紹介しましょう。
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東京帝国大学(現在の東京大学)に勤めるH教授の家に、Nさんという40代ぐらいの女性が訪ねてきました。Nさんは、H教授の教え子である息子・K君が、1週間前に亡くなったことを報告に来たのでした。入院中のK君のお見舞いに行ったこともあるH教授は、突然の知らせに驚きます。
しかし、その驚きは、Nさんと話しているうちに、別の不思議な感情へと変わります。それは、わずか7日前の息子の死を語るNさんが、少しも「それらしくなかった」からです。
目に涙もためず、声も普段と変わりなく、口元には微笑さえ浮かべているNさんの心情を、H教授は推し量りかねるのでした。
そうした中、H教授は手に持っていた団扇を床に落としてしまいます。それを拾おうとして身をかがめたとき、テーブルを挟んで向かい合って座るNさんの膝が見えました。その瞬間、H教授はある「発見」をします。
膝の上で手巾(ハンケチ)を握りしめるNさんの両手が、激しく震えていることに気づいたのです。しなやかな指で引き裂くかのようにきつく握りしめられた手巾は、既にしわくちゃになっていました。
その様子をH教授は【婦人は、顔でこそ笑っていたが、実はさっきから、全身で泣いていたのである】と表現し、そんなNさんを【日本の女の武士道だと賞讃】するのでした。
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個人的には、芥川作品の中でも秀逸の部類に入ると思うこの小説を、私はいつか皆さんにも紹介したいと思っていました。ただし、もし1年前ならH教授のように、いわゆる「顔で笑って、心で泣く」という忍耐・我慢の美徳を伝えていたかもしれません。
しかし、ウィズ・コロナの暮らしも、間もなく1年に及ぼうかという今、そのつもりは毛頭ありません。
それどころか、今の私は「泣きたいときには、泣いたほうがいい」とさえ思っているのです。むやみに「人前で泣け」と言っているのではありません。ただ、約1年にわたり窮屈な生活を我慢し、様々なストレスにも耐えてきているのだから「それで泣きたくなったのなら、泣けばいいじゃないか」と思っているのです。
もちろん、泣くだけで問題が解決しないことは百も承知です。しかし、泣きたいときには思い切って泣く。心に積もり積もった、もっていき場のない感情を、涙とともに洗い流す。そうしたら、涙をぬぐってまた前を向く…。
そういう涙も時には必要だと、再び緊急事態宣言が出された今、私は思うのです。
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昨年の大晦日で活動を休止したアイドルグループ・嵐の松本潤さんが、ラストライブの中でこんなメッセージを述べられていました。
「嵐が去った後に、虹のかかった美しい空が、どうか皆さんの前に広がりますよう」
「明けない夜は、ないと信じて」
涙を雨にたとえれば、心に溜まった不安や苛立ちを涙の嵐で洗い流すことで、虹と青空の笑顔を取り戻せるかもしれません。だからこそ、松本さんの最後のフレーズだけは、同じ意味をもつ次の言い方に置き換えさせてもらいます。
「やまない雨は、ないと信じて」
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様々なストレスに疲れたら、無理して「顔で笑って、心で泣く」必要はありません。心が泣きたいときは、思い切り泣いてください。我慢しすぎたあなたの心が、Nさんの握っていた手巾のように、しわくちゃになってしまう前に。