私でさえ使ったことがあるのですから、生徒の皆さんの使用頻度はいかばかりかと推察します。
対話型AI(人工知能)サービスの「チャットGPT」のことです。簡単に言うと、入力した質問に対し、まるで対話しているかのようにAIが自然な文章を生成し答えてくれるサービスシステムです。
賛否両論あるこのシステムについて難しいことは言えませんが、教員として単純に「作文や読書感想文コンクールに悪用されたら、どうなるのだろう?」という疑問(不安)を抱いています。
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例えば「中学生が書いた『吾輩は猫である』の読書感想文を教えて」と入力すれば、ネット上で収集した膨大な情報から最適な回答を瞬時にして教えてくれます。感想文コンクールの審査員はそれを読んで、オリジナル感想文かAIが生成した感想文かを、どう見分けるのでしょう?
さらに、教員というより校長としての疑問(不安)もあったので、チャットGPTにこう入力してみました。「5月1日が開校記念日の中学校の校長が、開校記念日について生徒に話す講話を教えて」
その直後、あっという間に講話が生成されていくパソコンの画面を見ながら私は「どうする校長? AIに負けるのか?」という疑問(不安)が的中したように思いました。以下は、その講話の一部です。
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【尊敬する教職員の皆様、そして、生徒諸君。本日は、当校の開校記念日を迎えるにあたり、ご挨拶を申し上げます。当校は開校から○○年を迎え…(中略)…当校は創立以来、生徒たちに『自立心を育み、自ら考え、行動する力を身につけること』を目指して教育を行ってきました。今後もその理念を守り…(中略)…最後に、当校の創立に関わり、また、今日まで当校を支えていただいた全ての方々に感謝の意を表します。(後略)】
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以上の講話を最後まで読んだ時、意外なことに「どうする?」と最初によぎった疑問(不安)は、少しだけ解消しました。
理由は、前回の朝礼(校長通信)で、私が同じテーマで皆さんに話した内容と、かけ離れていたからです。言い方を変えれば、私が「自分の言葉で生徒に伝えたい」と思ったことを、少なくとも現時点でAIには代弁できないことがわかったからです。
書物やネットで多くの知識を蓄えれば「物知り」になれます。ただし、賢くなるためには、それらの知識を知恵に昇華させなければなりません。
取り入れた知識を自分なりに咀嚼(かみ砕くこと)し、取捨選択したり他の知識と組み合わせたりした時、知識は知恵となります。そして、その知恵を適切な場面で活用できる人こそが、「物知り」ではなく賢い人、つまり「賢者」なのだと思います。
とはいえ私の蓄えている知識など、AIに比べれば砂漠の中の砂一粒に過ぎません。また、チャットGPTに「では、あなたは賢者なのですか?」と逆質問されたら、沈黙せざるを得ないでしょう。
しかし、一言「私は物知りでも賢者でもないが、思考停止した『AIのコピペ人間』にも成り下がっていませんよ」とだけは反論できます。
学習評価の観点にもなっている「思考・判断・表現」のうち、最初に必要なのは「思考」です。人間は、取り入れた知識を基に「思考」することで「判断・表現」ができます。AIに頼りすぎてその「思考」を停止させてしまうと、適切な「判断」も「表現」も、できなくなってしまうでしょう。
私は、自分の講話とAIの講話の優劣を論じているのではありません。私の講話を他校生が聞いてもピンとこないのと同じように、AIの生成した講話を私が丸読みしても、皆さんの心には響かないでしょう。
なぜなら、常に私は板三中生である皆さんを見て、今皆さんに何を語らなければならないか、どう語ればそれが皆さんに伝わるかを「思考」して「判断・表現」しているからです。
AIと競わず、AIに依存することもせず、ただ目の前にいる皆さんを見続け、ただ皆さんに語るために「思考・判断・表現」し続ける…。それが「どうする校長?」の答えです。