教員になって40年来、ずっと戦い続けてきた相手がいます。40年という歳月が物語るように、私が様々な手段を用いて打ち負かそうとしても、その相手は手強く、時に姿・形を変えながら、しつこく生き延びています。
教員としての私にとって、憎むべき仇敵とも言えるその相手の名を「いじめ」といいます。そして、仇敵はこの10年ぐらいの間に、さらに2つの新しい顔で現れるようにもなりました。
1つは「いじる」と称して度を超した悪ふざけで、身体的にも精神的にも他者を傷つける「いじめ」です。
テレビのバラエティー番組を見ていると、時折「いじられキャラ」を自称する芸人が、他の出演者から必要以上にからかわれたり、困らされたりする様子を見せ笑いをとっています。
それが彼らの芸風であり、そうすることで彼らは報酬を得ているのです。そこを勘違いして、テレビの向こう側の演出を現実世界に持ち込むと、それは「いじめ」につながりかねません。
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改めて見ると「いじる」と「いじめる」という言葉は似ています。「いじる」に【め】が、あるかないかの違いです。
それだけに、意図的に人の心の痛みに【め(目)】を伏せ、「自分はいじめていたわけではない。いじっていただけだ」などと言い逃れをする人を見ていると、同じ「いじめ」でもより悪質であると感じます。
もう1つの新たな仇敵の顔が「ネットいじめ」です。インターネット上に人を誹謗中傷する内容を書き込んだり、本人の嫌がる画像を掲載したり拡散したりするのが「ネットいじめ」です。誹謗中傷とは、根拠もなく人を傷つける悪口や嫌がらせという意味です。
それら2つの新しい顔に共通するのは、周囲からは見えにくく、気配を感じさせてもずる賢く逃げる(自分はやっていないと言い張る)という点です。さらに、被害者の苦痛の大きさに対して、加害者の罪悪感が低い(悪気はなかったと言い張る)という点も共通しています。
そんなことから、この10年間で仇敵は一段と陰湿化・狡猾化したと、実感しています。
そのように手強く、しつこく、ずる賢く、卑劣極まりない仇敵との戦いに、決着のめどは立っていません。残り少ない私の教員人生で、「勝てる」という確証もありません。
ただその一方で断言できるのは、明日からも私は絶対に戦いをやめないということ。だから、たとえ勝てなくても負けもしないということ。そして、今の私には、板三中の先生方という、共に戦う同志がいるということです。
そんな私から、一つ言っておきましょう。
もし今この場に、誰かにいじめられている人がいたら聞いてください。「弱い者いじめ」という言葉がありますが、あなたは決して弱者ではありません。心貧しき者たちの卑怯な振る舞いに耐えてきた、強い心の持ち主です。
ただし、自分一人で耐え続けるには限界があります。どうか限界まで頑張ることなく、先生方に相談してください。私たちは、全力であなたを守ることを約束します。
逆に、もし今この場に、誰かをいじめている人がいたら、その人に言います。人の心の痛みがわからないというのなら、せめて人を傷つけて喜ぶ心貧しき者にだけはならないでください。
あなたがどれだけ成績優秀で、どれだけ運動神経が良くて、一見どれだけ人気があり、どれだけ多くの取り巻きがいようとも、それらの魅力は全て、「いじめ」というたった一つの卑怯の前には、いとも簡単にかき消されることでしょう。
最後にもう一度言いますが、教員としての私が今日まで戦ってきた相手、そして、明日からも戦い続ける相手は「いじめ」です。あなたではありません。したがって、「いじめ」の被害者を守ると同時に、加害者であるあなたも、救ってあげたいと思っています。