夏休み後半、校内を巡回していると、どこかしらの教室で、担任の先生が2学期を迎えるための教室整備をされていました。
そんな教室では古い掲示物が撤去されたせいか、一段と「学級目標」が目に留まります。担任の先生の願いや、各クラスの個性が表れている目標を改めて見ていると、私の中にある曲のメロディがよみがえりました。
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心配ないからね 君の勇気が 誰かに届く 明日はきっとある どんなに困難で くじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ
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これは『愛は勝つ』という曲の歌詞の一節です。今から32年前、CD売り上げ200万枚以上を記録した当時のレコード大賞受賞曲でもあるので、もしかしたら皆さんのお父さん・お母さんはご存じかもしれません。
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私がこの曲を思い出したのは、教員生活で担任を受け持った最後の6年間、6クラス全ての学級目標(スローガン)が、この【愛は勝つ】だったからです。たった4文字の学級目標を、教室のどこから見ても目立つように、大きく黒板の上に掲示していました。
そのインパクトが相当強かったのか、今でも当時の教え子の年賀状には「校長になっても生徒に【愛は勝つ】と教えていますか?」などと書かれていたりします。
この学級目標を設定した理由は、長くなるので割愛します。ただ、当時私が生徒に話した一端だけ、皆さんにも話しましょう。
もし誰かに「『愛は勝つ』と言うが、いったい何に勝つというのか?」と問われたら、私は「全てに勝つ」と答えます。さらに「なぜ、勝つのか?」と尋ねられたら、私は「見返りを求めないから」と答えるでしょう。
よく「無償の愛」という言い方を耳にします。しかし、私は【愛】とはもともと無償(報酬や対価・代金等を一切求めないこと)であり、そんな修飾語は不要だと思っています。逆に言うと、なにかしらの見返りを求めたら、それは【愛】ではないとさえ思うのです。
当時担任した生徒には、よく【恋愛】という熟語を分解・比較して話をしました。
【恋】は、相手にも自分を好きになってほしいという願望が伴います。自分が相手に抱く「好き」と同等か、それ以上の「好き」という見返りがあって、初めて幸せを感じるのが【恋】です。
それに対し【愛】は無償で、ただ願うのは相手の幸せだけです。たとえ相手が自分以外の人を好きになったとしても、それで相手が幸せならば、自分も幸せと思えるのが【愛】なのです。
難しいかもしれませんが、生まれてきた子どもを慈しむ親の眼差しを想像してください。親は、子どもに見返りは求めません。そこにあるのは、ただ、ただ、子どもが大切で、愛おしくて、子どものためなら自己犠牲をも厭わないという思いだけです。
だからこそ、生まれてきた子どもを見つめる親の眼差しは、あれほど優しく、あれほど強いのです。
小説『浮雲』が有名な明治時代の作家・二葉亭四迷は、海外の文学作品にあった「 I love you.」(アイ・ラブ・ユー)を日本語に翻訳するにあたり「死んでもいい」と訳したそうです。
軽々しく「死ぬ」などと口にしてはいけませんが、まだ西洋風の【愛する】という言葉も概念も一般的でなかった時代にあって、私は【愛】の本質を射貫いた名訳だと思っています。
長い2学期が始まりました。長い学校生活の間には、学習面、生活面、人間関係など様々な不安や悩みを抱えることがあるかもしれません。そんな時は、どうか身近な【愛】を頼ってください。
皆さんの家庭に、教室に、職員室や保健室、SBSルーム、さらには校長室に、皆さんへの【愛】が、ひっそり息づいています。何の見返りも求めず、ただあなたの幸せを願うご家族、友達、そして先生方がいることを信じて、長い2学期を過ごしてほしいと思います。