3.11 私は帰宅難民になりました。そして十年が経ちました。
ちょうど十年前のこの日、私は丸ノ内線の御茶ノ水の駅の階段を地上に上がっているところでした。足下が揺れ、何かが起きていることが分かりました。
地上に上がると、大型トラックが路肩に停まり、上下に跳ねていました。 「とんでもないことが起きている。」 「もしかしたら、直下型地震が首都圏を襲っているのかもしれない。」 上を見上げると大きなビルがあり、ガラス窓が降ってきたら危ないと感じ、プレハブの建物の近くに身を寄せました。 軽い建物なら壊れないと思ったからです。 そばにいた人たちと情報をやりとりし、どうやら東北地方で大きな地震が起きたことが分かりました。 そして、いわゆる「帰宅困難者」となりました。 当時勤めていた学校が緊急避難所になっていることが分かり、何とか戻ろうとしましたが、交通機関は全て止まり、路上は車と人であふれていました。 唯一の情報源はスマートフォンに遅れて届く同僚からのメール。 それも夜には充電がつきました。 歩いて勤務する学校に戻ることができたのは、もう、夜遅くでした。 学校の体育館に避難した人たちや家に帰れなくなった若い職員とともに、眠れない夜を過ごしたことを覚えています。 それ以来、硬い革靴ではなく歩きやすい靴を履き、鞄の中には予備の充電用電池や小型の懐中電灯を入れ、外出するときには持ち歩いています。 さて本日、板橋第三中学校で先日配布されたプリントを本校でも配布いたしました。 武田校長先生からのメッセージをお読みいただき、ぜひお子さんにも話して聞かせてください。 この日のことを、私たちは忘れません。 この日のことを、私たちはずっと語り続けていきます。 |
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