お昼の放送「一休さん」

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※昨年度までは、月曜の朝には全校で校庭に集まって、児童朝会を行っていました。しかし、今年度は6月の学校再開以来、感染症防止の観点から一斉に集まる朝会は行っておりません。その代わりに毎週放送で給食の時間に子どもたちに校長からのメッセージを伝えています。

 給食中、失礼いたします。
 今日から2月になりました。今が一年で一番寒い時期ですが、感染症予防のために水が冷たくても毎日しっかり手を洗いましょう。
 さて、今日はとんち話で有名な一休さんのお話をします。皆さんは一休さんを知っているでしょうか。名前を一休宗純と言い、室町時代のお坊さんです。
 一休さんには4人の弟子がいました。仏教が栄えていましたからほとんどのお寺が、建物を立派に建て替えたり、贅沢な装飾品を付けたり、お坊さんが着る袈裟という着物も当時で最も高級な生地で作ったりしていました。しかし、一休さんは贅沢をせず、弟子には朝と夕方のおつとめといってお経を唱えることと、昼間は寺の掃除を命じました。こんなことでは、きれいな他のお寺はどんどん栄えて、自分たちの修行する一休さんのお寺はいずれだめになってしまうのではないかと弟子達は毎日心配でたまりませんでした。
 そんなある日、一休さんが出かけることになりました。弟子の4人は一休さんが出かけても、朝のおつとめを真面目に行いました。そして、掃除もいつも通り一生懸命に行いました。一休さんの部屋を掃除しようと部屋に入ってみると、大きなこうり(竹を編んで作った昔の衣装箱)が部屋の真ん中においてありました。何だろうと弟子たちが空けてみると、その中には一回り小さいこうりが入っていました。それを空けると、中にはまたそれより小さいこうりが入っていました。それを空けるとまた小さいこうりが。だんだん小さくなっていくこうりの最後のこうりの中には、一枚の紙が入っていて、そこには一休和尚の字で「大丈夫。なんとかなる」と書いてありました。弟子たちは顔を見合わせると「何じゃこりゃ」と言ったと思うと大きな声でおなかを抱えて笑いました。涙を流すくらい笑って笑って、4人は気付きました。自分たちは毎日ほかの寺のことばかり気になって、こうして笑顔になることすらなかったと。それから弟子達は一休さんの教え通り、毎日ひたすらお経を読み、掃除をしました。そして、とうとう4人とも京都でも有名な非常に徳の高い立派なお坊さんになりました。
 私たちも日々の生活の中で、悩みや心配なことがあっても、なんとかなるという気持ちで、まずは自分の取り組むべきことを一生懸命行いましょう。そうすれば必ず道は開けていきます。
 今日のお話はこれでおしまいです。
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