東京染小紋の歴史(れきし)


1.東京染小紋のはじまり
   東京染小紋のはじまりは、室町(むろまち)時代(今から430〜670年くらい前)にさかのぼります。最初は武具(ぶぐ)である鎧(よろい)の革所(かわどころ)という布(ぬの)の部分や家紋(かもん)※1 などに用いられていました。武士(ぶし)の日常着(にちじょうぎ)など、衣服にも染められるようになったのは、室町時代の終わりの方と考えられています。
※1 家をあらわす印 

2.武士の衣服から発展
 東京染小紋の技術(ぎじゅつ)が発達し、広まったのは、江戸時代のはじめ、武士の礼服(れいふく)の1つである裃(かみしも)に細かなもようが染められるようになってからです。当時、江戸には全国の諸大名(しょだいみょう)の屋敷(やしき)がおかれました。 そのため、江戸の町に多くの武士(ぶし)がふえ、江戸で小紋(こもん)が発達したのです。その結果、将軍家(しょうぐんけ)をはじめ、それぞれの藩(はん)は、武士(ぶし)の裃(かみしも)用に自分たち藩(はん)だけの柄(がら)をきそって定め、シンボルとしました。いわば、ひと目でどこの藩(はん)の武士(ぶし)かわかるユニホームの柄(がら)というわけです。
 はじめ小紋(こもん)は、男である武士(ぶし)の裃(かみしも)を中心に使われていました。しかし、江戸時代も中ごろになると町人文化が発展(はってん)し、町人の間でも着物などに小紋(こもん)を染めるのがはやり、男性(だんせい)だけでなく、女性(じょせい)にも広まりました。小紋(こもん)は町人のふだん着やおしゃれ着として、人々に愛されるようになったのです。そして、動物や植物を形どった柄(がら)や縁起(えんぎ)をかついだり、語呂(ごろ)あわせのあそび心のあったりする柄(がら)もたくさん生まれ、さかんに作られるようになりました。

3.主に女性の着物として現在へ
 染小紋は、江戸時代には男女ともに着ていましたが、明治時代になると、武士(ぶし)という身分が廃止(はいし)されたため、裃(かみしも)が作られなくなりました。また、洋服を着る人が多くなったため、男性(だんせい)で小紋柄(こもんがら)の着物を着る人がとても少なくなりました。
 しかし、明治時代の中ごろには小紋(こもん)に草花のもようを描(えが)いた訪問着(ほうもんぎ)などができ、女性(じょせい)の着物として広まっていきました。
 今では、100人中、90人以上が女性(じょせい)のお客さまで、日本を代表する着物の1つとして、親(した)しまれています。


※このページは、小林さんのお話のほかに下の資料(しりょう)やホームページも参考にしました。
◆東京都染色工業協同組合ホームページ  URL:http://www.ins-web.co.jp/tsk/senshoku-kumiai.htm
◆江戸の「粋」を創る人々 富田染工芸さん取材記  http://www.wasai.or.jp/kimono/tomita/index.html
◆「調べよう日本の伝統工業 3関東の伝統工業」(北俊夫監修 国土社)



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