大正から昭和のはじめごろ

こどもたちの生活や、学校でのようすはどんなふうだったのでしょうか?

あっ、そういえば、ぼくのおじいちゃんは、この時代に上板小に通っていて、そのお話をきいたことがあるよ。
ほんとうに? それじゃあ、まておくんにお話してもらおう。
いいよ。おじいちゃんが、子どものころは、上板小に通ってくるほとんどの子どもが農家の子どもで、みんな、かすりの着物を着て、げたかぞうりをはいていたんだって。教科書は、ふろしきやふくろに入れてもってきたんだ。先生はきびしかったって。青竹や木のぼうで、黒板をたたきながら教えてくれたのを思い出すなあって、言ってたよ。
うん。むかしは、このあたりは、ほとんどが農家だったから、畑のおてつだいも子どもたちがよくやっていたそうだよ。
ふうん。農家ばっかりとは、今とはぜんぜんちがうのね。
大正3年には、東武東上線が、池袋から川越市まで開通したんだ。ときわ台の駅ができたのは、昭和10年のことだよ。このころから、ここの町の人々の生活はいちだんと便利になっていったんだよ。
それじゃあ、人も増えたんじゃない?
そう。昭和になってからは、板橋区の人口が増えてきたんだ。昭和2年の上板橋村の人口は2456人。
じゃあ、子どももふえてきたってこと?
うん。上板橋小の子どもの数もどんどん増えて、なんと教室がたりなくなっちゃったんだ!
えっ!? それじゃあ、どうしたの?
しょうがないから、午前の部、午後の部にわかれて授業をしたんだよ。
へえ、たいへんだあ。
このころの上板小のまわりも、今とはずいぶんちがうみたいだったようだよ。
どうだったの?
石神井川は、魚つりをしたり、夜はホタルをおいかける楽しい遊び場だったんだって。それから、見わたすかぎりの、田んぼや畑で、ポツンとむこうに「天祖神社」が見えたそうだよ。
へえ、今とはちがうんだなあ。
おどろきが多いね。さあ、次へいこう!