明治のころ

上板橋小学校が生まれたのは、いつのことでしょうか?

どんな時代だったの?
江戸時代には、日本は外国とのおつきあいをやめていたのだけど、明治時代からは外国ともおつきあいをするようになったんだ。そうしたら、日本はびっくりしたんだ。
なにを、びっくりしたの?
あまりにも、アメリカやヨーロッパの国々よりも、産業や文化がおくれていたんだ。ずっと、日本はひとりでいたからね。
それで、どうしたの?
日本の国はこう考えたんだ。おくれをとりもどすためには、日本人全員が勉強をしなくてはならない、って。
と、いうことは?
明治5年に「学制」というきまりをつくったんだよ。「村には、学校に行かない家がないように、家には学校へ行かない子どもがいないように」という、めあてだったんだ。
それで、上板橋小がうまれたんだ。
そう。「第四中学区第十九番公立小学上板橋小学校」という名前で、明治9年10月25日に誕生したんだよ。
なんだか、長い名前ね。あれっ、そういえば、たしか今の開校記念日は5月7日よ。ちがうじゃない!
よくきづいたね。じつは、最初の学校は今とは別なところにあったんだよ。明治15年5月7日に、今の場所に学校をうつしんたんだ。
なーんだ、そういうことだったの。
ただ、このころは、長命寺のとなりということで、「長命寺学校」とよばれていたそうだよ。「上板橋小学校」といっても、だれもわからなかったって。
どんな学校だったんだろう?
校舎は草ぶき屋根。かべは板ばり。まどはしょうじだったって。だから、風がふくと教室はほこりだらけで、目をあけることもできなかったって。
今とはおおちがいね。
けれども、このころできたもので、今ものこっているものがあるんだよ。
えっ、それはなに?
まてばしいだよ。明治30年ごろにうえられたそうだよ。ちなみに子どもの数は、明治15年に41名、明治30年には192名、明治44年には454名だったそうだよ。
よーし、つぎいってみよう!